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 ▼愛媛FCについて  かぼすシュ−ト 03/12/8(月) 6:28

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 ■題名 : 愛媛FCについて
 ■名前 : かぼすシュ−ト
 ■日付 : 03/12/8(月) 6:28
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   今年、J2参画を見送りましたね。
石橋さんの無念の会見が残念でした。
せっかく苦労してJFL3位まで登ってきた。ユ−スも強くなってきた。J2参画には億単位の資金が必要です。でもこの資金が得られなかった。上を目指すチ−ムが何度も何度も通り抜けねばならない鬼門です。地方のチ−ムがJ2になるには必ずや「行政」の力が必要になります。この行政サイドを動かせるかどうかがポイントです。

松山は野球の盛んな街です。正岡子規に代表されるように日本野球発祥の地とも言われています。百億以上はしたであろう「坊ちゃん球場」が数年前建設されました。それはそれは使用頻度を考えれば「もったいない」。何十年に1回プロ野球のオ−ルスタ−が1試合来る程度にこの資金は・・・。

でもそういうことが実際に行われた訳です。そういうことが通じていく雰囲気がこの街にあるのだと思います。

南宇和高校の高校選手権優勝から数十年、当時の石橋監督は指導者を捨てて、クラブチ−ム作りに奔走しています。転勤を契機に私立高校に移り、愛媛FC創りに駆け回った。働きながらサッカ−を続けている選手達、練習場探しに悩む選手達、芝生がない選手達。石橋監督も転勤を受け入れて公立高校の監督になっていれば、今頃は高校選手権の常連になって、国見、市船に代表されるチ−ムを作っていたであろう指導者でした(U−17の代表監督もやった)。小峯監督や布監督のように賞賛される道を彼は進まなかった。そして彼はいばらの道を選んだ。

大分もJFL時代は大変だった。日本にはまだまだクラブという概念が育っていない。市民にスポ−ツというものが理解されていない。ましてや甲子園で何度も優勝している愛媛県だから、スポ−ツに代表されるのが甲子園だという認識であろう。

街頭募金を募るなり気持ちを市民に伝える行動を起こすことが必要だと思う。
だれかこの方を応援する人間はいないのか?愛媛県人はいないのか?

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