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▼tetoさん:
ありがとうございます。
>自分でスレッドを立てておいてなんですが
>憲法の方向からのアプローチはむずかしくどうしようかと思っておりました。
>
>ただ、かなり専門的な知識をベースに書き込んでいただけましたので
>いろいろと反応させていただければと思います。
いえいえ、こちらは拙い知識でごまかしごまかし書いたもので、
大変恐縮です。
>
>とりあえず以下の部分について。
>
>>巷間、どの憲法のテキストを見ても、
>>「明治憲法の強大な天皇大権から民主的な国民主権へ変わり、
>>『神聖不可侵』とされた天皇の地位も『国民の総意に基く』ものとされ、
>>権限はほとんどなくなった」
>
>今、瀬島龍三さんが書かれた「大東亜戦争の実相」という書籍を読みかけてるんですが
>この中に明治憲法下における天皇の統帥権の実際の運用について書かれています。
>
>大本営の仕組みや、軍部の強大な権力と共に
>昭和天皇が明治憲法の規定に従ってほとんど自分の意見を口にしなかった事が描かれています。
>
>詳しくは後日簡単にまとめまときます。
瀬島さんのその本、今通ってるバイト先のボスが読んでました。
瀬島さんはまさに大本営の中枢にいらした方ですね。
鶴瓶氏と南原氏のTV番組「日本のよふけ」で、日米開戦前夜の
昭和天皇と、当時の東條首相の苦悩を語っておられたのが印象的でした。
昭和天皇は、ご自身が皇太子時代に英国を訪問されたこともあって、
今まで連綿と続いてきた皇室の歴史を保ちながら、
英国流の立憲君主制を天皇制度のあるべき姿とされていたようですね。
>
>神聖不可侵という表現はある意味的を射ている部分はあると思いますが
>それは権力を背景にした恐怖政治よって作られた地位ではなく
>尊敬や敬愛をベースに、歴史を背景にした権威を国民が感じ取って生まれた地位なのではないかと思っています。
>
同感です。
大昔、弥生期か古墳時代かはわかりませんが(大体からしてこの皇室の
発祥がいつだったかはっきりしていない、というのがすでにすごい…
すでに伝説と歴史が渾然一体としている)、記紀の記述、及び古墳から
出土する副葬品の武具などから推測されるように、
たしかに天皇(大王)家は、その武威・権力で諸豪族を従えていた
時期があったでしょう。
しかし、壬申の乱などの内乱、また律令を取り入れるなどして、
天皇を「象徴」、権威としつつ、権力はその下の機関(太政官など)
に分散する、という国の統治のかたちが出来てきたんだと思います。
「神聖不可侵」としか表現のしようのない「何か」というか、
「オーラ」というものが、あのご一家にはありますね。
こっちの思い入れというのもあるのかもしれませんが。
少し話がずれますが、前に、山梨か長野から帰京された皇太子ご夫妻を
新宿駅で見たことがあります。
両殿下は居合わせたわれわれににこやかに手を振られてましたが、
なんというか、われわれ下々の者とはしょってるものが違う、それこそ
出しているオーラが違う、という感じを受けました。
また、先日ノムヒョン韓国大統領が訪日しましたが、
歓迎式典で大統領と並ばれている天皇陛下を見るにつけ、
やっぱり、出しているオーラが違うと感じました。
ノムヒョン氏は、当然ながら大韓民国と国民を「代表」する人ですが、
天皇陛下は、やはり「日本国の象徴」としか言えないのです。
間違っても、国民の代表ではありません。代表よりもある意味
さらに大きな概念といいましょうか。
(勘違いする人がいると困るのでフォローしておきますが、
どっちが上だ、下だ、というものではありません。ただ、「違う」のです。
元首として、同格なのは言うまでもありません。
無論、ノムヒョン氏だけでなく、たとえば「アメリカ合衆国と
国民を代表する」ブッシュ氏や、「フランス共和国と国民を
代表する」シラク氏が横に並んでいても、同じ感想を持ったでしょう)
あのオーラは、庶民がいくら努力しても、出せません。
ってより、出しちゃいけません(苦笑)。
>
>天皇制について微妙な空気が流れる昨今ですが
>その空気の根源は、大東亜戦争における敗戦と
>それに伴ってGHQが日本に施した占領政策と、その政策に従って教育された
>人間が作り出しているものと考えています。
そのひとつがよく言われる「天皇制は不平等・差別を
助長するからいかん」というような論調ですが、
前述の「オーラ」(何度も不明瞭な概念を出してすみません)の話でいくと、
やっぱり皇室のかたがたとわれわれ一般庶民とは、
背負っている「もの」が違う、と思います。
(もっといえば、人それぞれに違うのですが)
それは「不平等」「格差」「身分差」というより、
本質的な「違い」「差異」だと思います。
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