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▼tetoさん:
上の記事は、後日調べた上で返信を書き込みします。
>>●この点について、補足します。
>>
>> 憲法第九条の改正についてですが、日本という国家そのものを変えてしまう事項と考えられます。
>
>その通り。
本当にその意味を理解していますか。
憲法とは、国とその国民との関係について明記したものです。
日本国憲法は、その前文で宣言されている通りです。
「日本という国家そのものを変えてしまう事項」とは、すなわち国とその国民との関係に変化を与えるということです。
>> 一般に最高法規である憲法には、軍事規定があります。
>> しかし、日本国憲法には、平和規定の第九条の一条しかありません。
>> 防衛を掌る自衛隊は、下位法規に規定されているわけです。
>
>憲法に自衛隊に関する細かい法律を書く必要性はないでしょう。
>憲法は本来、国のあり方の根幹を決めるものであり
>憲法の理念を実現させるための法律が事細かに存在するわけですよね。
>わざわざここでこうした書き方をすることの必然性が見えません。
「憲法は本来、国のあり方の根本を決めるもの」とともに国を動かすための基準となるものです。
そうした意味で、憲法に違反する国の作用(法律作用・行政作用など)をけん制する作用があるわけです。
憲法上自衛隊の地位を認めるということは、下位規範である法律で定めると言うだけではその組織と国民との関係を明らかにすることが出来ず、したがって、その組織について国民との関係を憲法上明らかにする必要があるわけです。
そうした場合、最高法規である日本国憲法に「細かい『規定』(法律ではなく最高法規の条文)を書く必要性」があるわけです。
>> 自衛隊の地位を憲法上で認めるという意味、その真意は、何でしょうか。
>> ここでもう一度日本国憲法の構成を確認してみなければなりません。
>> 日本国憲法は、第二章で平和規定を設け、続く第三章で主権者である国民の権利と自由について連ねています。
>> この国の統治機関である立法府・行政府・司法府は、主権者である国民の権利と自由規定に続いているわけです。
>> このような構成の憲法は、他の国にあるでしょうか。
>> また人類史に例があったでしょうか。
>
>順番が前後したことで何か憲法上の効力が変わったりするんでしょうか?
>別に順番なんてどうでもいいんですけど。
前述のように日本国憲法は、先に国民の権利と自由について述べ、続いて統治機関の規定を並べているわけです。
その意味は、主権者である国民の権利と自由を保障した上で統治機関の行為を制限する作用が生まれているわけです。
統治機関が主権者というわけではなく、主権者の国民によって公正な信託を付与された統治機関が主権者に代わり、憲法に従い国を運営するわけです。
主権者である国民の規定より先に軍事をつかさどる「戦力」の規定が先に述べられることは、そうした国民の地位を危うくする危険性をはらんでいるわけです。
>自衛隊の地位を認めることで、自衛隊は「違憲集団だ」という一部の雑音から解き放たれ
>自らの職務に誇りを持ってつけるんじゃないですか。
>あなたやあなたの大切な身内を守る集団ですよ。
>そこのところ勘違いしてませんか?
自衛隊は、憲法上「違憲」であることは証明されていませんし、学説上もその存在を認められているわけです。
その存在を改めて憲法上の地位に押し上げることは、国民の権利と自由に制限を与える事意外に意味はないということです。
「あなたとあなたの大切な身内を守る集団」は、その地位を下位規範である法律によって認められているわけで、改めて憲法上の地位を与えることについては、国における私の権利と自由を危うくするものですから断固として認めるわけにはいかないです。
誰が好き好んで自殺行為をするでしょうか。
未来の国民へ恥を残す結果となることは、目に見えて理解できるものでしょう。
>決して他国へ、侵略するために出て行く軍隊じゃないんですよ。
当たり前です。
しかし、憲法改憲後、国際情勢の変化で国土防衛を専念するはずの自衛隊が他国の国土を侵害する必要が出てきた場合どのような対応を迫られるでしょうか。
現行憲法下では、公務員である自衛隊は、平和規定のある憲法を遵守する立場にあるわけです。
しかし、この規定をはずすことは、自衛隊のそのような制限を取り除く以外意味を持たないです。
つまり当初予定されていた憲法観が変わってきたと指摘する一方で、改憲された憲法観も当然変化していくものであることが理解できるはずである。
そうしたならば、改憲しないことが甘いのではなく、改憲するほうが実に甘い考えというわけです。
>> さて、本題の第九条を改正した場合に考えられる事態を想定してみます。
>> 自衛隊を軍隊と認めて、憲法上その地位を保証したとします。
>> 第九条は、軍隊としての自衛隊の規定に変わりますから、第九条に続く枝番が列挙されることになります。
>> しかも、自衛隊の規定は、第三章の主権者である国民の権利と自由よりも先の章になるわけです。
>> したがって、その軍隊は、自衛のための組織ということでしょうから、有事を想定して第三章のほぼ全ての国民の権利と自由に但し書きが付されて制限されることになります。
>> 例えば、『表現の自由』と『検閲の禁止』規定の後に、「但し、有事の際にはこの限りにあらず。」といった感じになるのでしょうか。
>
>いやいや。
>有事法制が成立したじゃないですか。
>別にそちらで規定すればいいんじゃないですか。
有事法制を成立させたのに、わざわざ憲法上で自衛隊を規定する方が愚かなことです。
前述の通り、憲法とは、国民と統治機関の関係を法文によって位置付ける作用があるわけです。
下位規範である法律と最高法規である憲法とは、その性質を異にしていることぐらい理解できるはずです。
下位規範である法律が憲法に抵触した場合には、違憲であるかどうか審査することが出来る。
しかし、憲法上自衛隊が明記されるにいたった場合、そうした時はもはや手の内ようがないという事ぐらいわかりますよね。
>それに他国の軍隊が侵略してきたという究極の権利侵害を受けた状況で
>表現の自由だ、検閲の禁止だ、言ってもねぇ。
>そもそもあなたや国民の基本的人権を保障する主体はなんですか?
>日本国じゃないんですか?
日本国憲法では、日本国というものそれ自体が国民の統合を意味するものです。
しかし、国民の権利や自由より先に軍規定が置かれることはそれ自体、軍による国の統治を明らかにするとしかいいようがないわけです。
そんな前民主的な国家の国民になりたいですか。
>その日本国が侵略され、国自体が侵略国家によって吸収されることによって消滅するとします。
日本が世界有数の軍事力を有する国家であることは、世界の誰もが知っているのではないですか。
しかも、日本の同盟国には、アメリカがいて、安全保障の関係にあるわけです。
そうした背景を考えず、不明な国による侵略と略取を想定することはどういうことかと逆に聞きたいです。
これこそ机上の空論です。
>侵略国家が私たち元日本国民にどれだけの権利を与えてくれるんでしょうか?
>戦争はしないに越したことはないですが、ある国家の正規軍が日本を侵略したとき無駄な血は流したくないと無血開城で日本を占領させた場合どうなるんでしょうか?日本民族を根絶やしにする、なんて思想の持ち主が侵略してきたらどうするんですか?
前述のようにそうした事態を想定する方がおかしいです。
そのためにも『平和的な解決を』ということがスローガンとされているわけですよね。
>> 憲法制定後、半世紀以上が経ちましたから戦前の状況とは、現在では想像しがたいものです。
>> しかし、戦前にそういった状況があったことは、国民の誰もが知ることです。
>
>戦前のそういった状況とは?
この点について、後日調べてみます。
というよりもtetoさんの方が詳しいのではないですか。
>> 半世紀前に制定されたといえ日本国憲法は、化石ではありません。
>
>化石です。
>九条が存在しながらも自衛隊が存在してることで
>現実と憲法学者との違憲の乖離はすさまじいものがあります。
自衛隊について、あらゆる戦力を持つことは違憲であると主張する学者の方が極めて少ないこの現代社会で、現実と憲法学者との見解に差があるとの見方はおかしいですよ。
>> 法律であれば、時代の変化にあわせ改正することも容易でしょう。
>> しかし、国の最高法規である憲法を一部であれ改正するということは、大きな変革を意味するものとなります。
>
>大きな変革をすればいいじゃないですか。
>なぜそれを怖がる?
>変革していかねば、日本はどんどん世界から取り残されていくだけですよ。
現在世界から取り残されているのは、日本ではなく軍事国家のアメリカではないですか。
日本のスタンスは、欧州的な立場を取れば進歩的であるということです。
>> 日本国憲法の謳う平和規定は、人類史や他国を比べても見ることが出来ない先鋭的な規定です。
>
>先鋭が成功するとは限らないことは、共産主義の破綻を見ればわかるのでは?
>国内に軍事力を持つ日本は、憲法違反を内包した失敗国家ですよ。
>そもそも日本国憲法は、アメリカの青臭い理想主義を押し付けられた
>実験的なものだったわけですし。
憲法違反とよくおっしゃいますが、第九条に関した明快な判例は存在しません。
国内の軍事力は、憲法上反しないとの見解が通説化しているのに、失敗国家であるとの認識は、おかしいですよ。
アメリカによって押し付けられたという認識ですが、当時の政府が積極的に取り入れたのも事実です。
そうした場合、実験的でもなければその結果が出ているとの判断をするにはまだまだ時期尚早ということでしょう。
>> これを一次の世論で改正することは、例えるなら『パンドラの箱』を開けるに等しい行為です。
>
>読売だったかなが、何年もアンケートとってきましたが
>改憲論は毎年過半数を超えて多様に記憶しています。
>九条も近年改憲に対するアレルギーが減ってきてます。
>
>一時の感情で改憲するなんてとんでもない。
>そもそも占領下に制定された憲法を半世紀以上破棄してこなかった政治家の不作為をぼくは糾弾したいくらいです。
占領下に制定された憲法との認識は、まだ知識として不十分なものではないですか。
>> 一度改正するならば、二度と後戻りをすることが出来ません。
>> この世紀は、テロや地域紛争の懸念が現実のものとなりましたが、「平和の世紀」や「人権の世紀」と例えられる時代です。
>
>20世紀は戦争の世紀でしたが、ぼくは友人が話していた21世紀はテロの世紀になる
>という意見に賛成です。
アメリカでの大規模なテロを世界が目撃した現在では、間違いない認識でしょうね。
>アメリカという巨大な軍事力を持つ国が中心となる世界秩序の中
>正規軍同士による戦争は今後、ほとんど起きることはないでしょう。
>
>その一方で、国家権力に独占されていた化学兵器製造技術が
>カルトな団体にまで降りてきています。
>
>技術の進歩は、テロの可能性を増大させ続けています。
テロの危険性を軍事力を背景にして取り除こうとすれば、そのテロの標的となることが容易に想像できます。
国際間の戦争が想定されない時代であれば、現行憲法の精神でテロの危険性を除去する方が絶対安全でしょうね。
日本が誤っているアメリカの姿勢を真似る必要はどこにもないです。
>> 憲法第九条を改正するということは、時代の流れを逆行する形となることでしょう。
>> そうした意味で、私は、憲法第九条の改正には反対です。
>
>イラク戦争に賛成した日本はテロの危険性が増大してますよ。
>九条という理想にしがみつき、いざテロ攻撃を受けたときあなたは国民に対して責任が取れるんですか?
有事関連法案において、テロを想定した事態をまだまだ検討しているようですね。
しかし、それはあくまで法律レベルの問題であって、それを憲法問題と差し替える議論は、大いに危険です。
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