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▼masatoさん:
>こうしてみると『池田・ロバートソン会談』の歴史的な年表を確認できます。
>借り物の文面で申し訳ないですが、「また1953年の池田・ロバートソン会談での確認(「日本政府は、教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである」)や独占資本の要求をふまえ、教育の反動化・中央集権化がすすめられた」とあります。
バリバリのサヨク用語なんだよね。独占資本とか反動化とか。
法曹界は左よりの人が多いと聞くけど、実際それっぽいね。
まあ、三権分立のなかの一つの権力で
国家権力に対抗するという目的意識に燃えている人が多いのは事実なんだろうけど。
それにしても無駄に左寄り過ぎる。
まあそんなことはさておき、上の文章で確認されたという内容が果たして
誠実に国内で履行されているのかどうかは疑問符がつきます。
>『池田・ロバートソン会談』の意味するところは、保安隊に入隊する青少年を教育によって育てなさいということだと思います。
>疑問として平和主義を謳う日本国憲法をある意味押し付けた米国が朝鮮戦争を機に警察予備隊を創設しなさいと言う、また一方では防衛のための意識を高めるために『愛国心』教育に取り組みなさいと言ったわけです。ここに大きな矛盾を感じたわけです。
この会談でそういう話がなされたのは事実なんだろうけど
一方で日教組はがんばってさ
自衛隊の子供は人殺しの子供だ、なんて学校でつるし上げてるんだよ。
そういう事実は知ってますか?
>教育勅語が絡んだ理由としては、『愛国心』とはこの国の固有、つまり戦前戦後を問わずこの国に生きてきた、また生きている私達が有してきた価値観であるのかどうなのかを知るために戦前の教育の中心であった『教育勅語』にそれを求めたわけです。また、検索したサイトでは、教育基本法の手直し論と愛国心、また戦前の教育勅語に触れていたわけです。こうしたことから、これらは密接した論点なのかもしれません。
教育勅語なんか持ち出さなくても
戦前は愛国心があったでしょう。
愛国心がなければ、国のために死ねません。
>『愛国心』という観念のもととして『池田・ロバートソン会談』に注目しているわけです。
>歴史上『愛国心』という観念がそれ以前にあったとすれば、私の拙い説はあっけなく崩れ去るわけですが、それを私は知りたいのです。そもそも『愛国心』を語る論者は、その定義やその由来をどこに求めているのか知りたいところです。
>tetoさんもよく『愛国心』なるものを表現しようとしていますが、これを試みてください。その定義と由来についてです。
ここらへんは前に書いたのでスルー。
>私は、『池田・ロバートソン会談』にその由来を求めているわけですが、最近良く目にする『愛国心』とそれを分類することに試みてみました。
>そもそも『池田・ロバートソン会談』で確認された『愛国心』を米国から持ち込まれた観念としてみているわけですが、最近良く目にする『愛国心』は同一のものですか。私は、同じ観念だと思います。
つまりどういうことなんでしょうか?
説明してもらえますか。
>>ちなみに戦後の日本の教育界では愛国心はタブーでした。
>ん?、私が上で書き込みした池田・ロバートソン覚書では、『愛国心』を教育しなさいとありましたね。
この論法が成り立つのであれば
「日本は軍事力を持つよね」
「ん?、憲法九条で禁止されているはずだけど」
という話が成り立ってしまいます。
歴史的に何かの会談が行われて、合意されたとする。
しかしその合意が実際に履行されるのかどうかは
合意の存在によって判定するのではなく
合意に基づく行動が、現場で実際に存在したかどうかで判断すべきではないでしょうか。
こんなこと当たり前のことなんだけどね。
>私もよく知らないのですが、『夜の教育委員会』というものがあったらしいです。
今でもあるみたいだよ。
>憲法のテキストでは、『池田・ロバートソン会談』を実現されるために国家統制化の諸政策が行われたそうです。
>これも借り物の文面で申し訳ないですが、「その目標の実現のためには、文部省→教育委員会→校長→教師→児童・生徒と、「国家意思」を上から下まで伝えることが必要である。
では逆に聞きますが、国家意思を持たない教育とはどのようなものを想定していますか?
日本では、文部科学省が教科書検定を行って
教科書がある程度のクオリティと多様性を維持するような制度を作っています。
中国や韓国では教科書は国定で、定められた一種類の教科書しか存在していません。
こちらのほうがより国家統制の度合いは強いです。
>・・・・・「教育二法」が、国会に警察官を導入して強行成立させられた。
「警察官を導入して強行成立」、という言葉に反応していますが
問題は何をどう変えたのか、という部分であるべきです。
何をどう変えたの?
>・・・1956年公選制の教育委員会を廃止して、自治体の首長の任命による教育委員会とする「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が、これも国会に警察官を導入して強行成立させられた。
公選制から任命制になることの弊害は?
そもそも自治体の首長は、その自治体の住民によって公選制で選ばれており
その首長が任命する組織は、自治体の住民の賛意を間接的に得ていると考えて間違いないのでは?
国会の中で首相を選ぶのとまあ同じ考え方だよね。
そもそも教育委員会を公選制で選ぶというのは
住民に対して教育現場の人材を見抜くことを要求するわけで
ハードルが高いと思いませんか?
昔、最高裁の裁判官の信任投票をやったけど
意味わからんもんね。
>・・・・・1958年からの教師に対する勤務評定(勤評)の導入であった。
教師がその働きを評価されて何が問題あるんでしょうか?
働かない教師と働く教師が同じ現場にいて、評価されないとします。
つまり、同じ給料をもらうとします。
共産主義が崩壊した原理と同様、人間は楽なほうに流れるのでは?
教師を評価してはいけないとは、これいかに?
>・・・・・偏向教科書キャンペーン、教科書検定機構の強化、学習指導要領の法的拘束化などがおこなわれた。
偏向教科書といいますが、何がどう偏向しているんでしょうか?
サヨクはいつもダブルスタンダードなんですよ。
家永裁判では、検定をなくせという。
しかし、作る会の教科書が世に出たときは、検定を強化して
あんなものを世の中に出しちゃいかんと言う。
教科書採用の現場はどうあるべきと考えているんでしょうか?
君はどう考えているの?
>・・・・1961年から全国一斉学力テストが行われた。
一時、サヨクマスコミや日教組なんかの反対で中断されていましたが
また復活するようで。
つーか、テストして何が悪いわけ?
学力の順位が決められるのが「平等ではない」とか言うの?
順位がはっきりすると、教師の怠惰がばれるから反対しているとしか思えないんだけど。
>国家統制化のために教育行政に対して過激なことが行われたようですね。
教育を行政が取り仕切るときに国家意思が介在するのは仕方ないでしょう。
教育とは、その国が持つ価値観を国民に洗脳する作業でしょ。
韓国の教育とか見てたらまさに洗脳ですよ。
歴史の捏造をしているのはどっちの国だよ、と思ってしまう。
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