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▼masatoさん:
>tetoさん、お忙しい中わざわざ返信ありがとうございます。
>>ぼくらはなぜ君が『池田・ロバートソン会談』を取り上げるのか理解できないんですよ。
>えーと、要するに『愛国心』とは、何かについてです。
やればできるじゃん。よくわかりました。
今度スレッドを立てるときは、議論のテーマをタイトルにしようね。
で、その池田君とロバートソン君の会談以降、日本に愛国心教育が入ってきたということなんですが
それはありえないですね。
君の仮説によると、今現在日本の公教育では愛国心が教えられていることになります。
ところが、実情は、今現在教育基本法を改正しようという議論の中で
愛国心という文言を入れようとするだけで各方面で大騒ぎしてます。
こういう反応見て、まず今までに国が先導して愛国心を教えて来たわけがないといえます。
また自分の皮膚感覚で今までの義務教育の中で愛国心を教えてもらった感覚が残ってますか?
逆にぼくは自虐史観に基づくダメダメ国家日本というものを教えられてきました。
これは愛国心とは対極にある教育でしょう。
話はちょっと変わりますが、現在使われている愛国心というのは
国民国家が成立して初めて成り立つもので
国民国家とは何かというとそれは近代に入ってできてきた新しい概念なんですよ。
(近代というには古いけどこういう定義がある)
http://d.hatena.ne.jp/saiton/keyword/%B9%F1%CC%B1%B9%F1%B2%C8?kid=5694
例えば中世のヨーロッパであれば都市国家という単位でそこいら中に国が点在していた。
日本で言うと、一国一城の主、という言葉が残っていることでわかるように
それぞれの殿様が納める国が点在していた。
それが、近代になって、日本なら日本という単位で国をまとめないと
植民地化されるという懸念が出てきた。
で、江戸幕府を転覆させ国民国家を作る必要が出てきた。
で、坂本竜馬が動いて大政奉還させたわけだよね。
で、新政府を作った。それが明治維新。
この革命で日本は封建社会から
ヨーロッパですでに確立していた国民国家設立を成し遂げたわけ。
この時点から、国の単位が殿様中心の狭い世界から
日本全土に概念が広がったわけ。
現在の愛国心で規定されている国の単位は、このとき作られた概念の範囲になるわけ。
つまり今現在日本と呼ぶ地域。
じゃあ、江戸時代に愛国心がなかったかというとそれはそれであったわけ。
つまり殿様に対する忠誠心と、殿様が治める領土に対する愛情ね。
なんか君が考えている愛国心の概念がイマイチつかめないんだけど
ものすごく難しく考えていると思う。
例えば君は大分トリニータを応援しているわけだけど
それはなぜかというと、おそらくは大分出身者だからだと思うのね。
地元にあるチームを応援する理由は何かというと
それは自分の経験に照らし合わせて考えて愛郷心に基づく感情だと思うのね。
愛郷心というのは何かというと、自分が住む地域に対する愛着。
それが国の単位まで広がったときに愛国心になるわけ。
ごく単純な話。
教育勅語が愛国心を教えていない、と君が書いたことに対して
教えていると反論したけど
よく考えると、あれは道徳の規範であって愛国心とかは関係ないね。
ちなみに道徳にしてもなんにしても、ある価値観を決めるとき
それは押し付けで仕方ないと思う。
共通の概念がないところに、「これが正しいことだよ」ってことを教え込むわけだから
それは強制という意味合いがあってもおかしくない。
そしてそれは特に批判されるべきものでもないと思う。
それが道徳教育というものでしょう。
タバコのポイ捨て、してもいいじゃんという人間に対して
ダメ、と強制するのと同じ。
そういう共通認識を道徳教育で作るわけだから。
とりあえず簡単だけど。
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