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他の人がどうやってスレッドを立てているのか、勉強してください。
君の頭の中では、『池田・ロバートソン会談』を取り上げる
かなり明瞭な必然性があるんでしょうが
ぼくらはなぜ君が『池田・ロバートソン会談』を取り上げるのか理解できないんですよ。
だからまず議論を始める前提として
何について論じたいのかをはっきりさせてください。
でないと、誰も君の議論に反応できないですよ。
どうやら愛国心と教育勅語が絡んでいるようですが
君の書き込みはパズルを解くようにして主題を見つけないといけないので
非常に手がかかるわけです。
>こうした本来の意味での『愛国心』を知らない世代が『愛国心』を論じているわけです。
>
>ここで、「本来の意味の『愛国心』」とは、非常に政治的な観点であることを確認してみてください。
確認してみてください、とのことですが、どうやって確認すればいいでしょうか?
愛国心が政治的な観点であるとはどういうことでしょうか?
『池田・ロバートソン会談』というものを頻繁に持ち出していますが
この会談について君の言葉で説明してください。
>『池田・ロバートソン会談』を歴史的に検証してみたらわかることですが、『愛国心』というのは米国によってはじめて持ち込まれた概念であることに気づきます。
>『愛国心』といえば、先日の同国内でのテロ同時多発事件後の国威の高揚で用いられた観念だと理解しています。
ちなみに戦後の日本の教育界では愛国心はタブーでした。
日本代表がその力を誇示し、プロサッカーが国内で認知された90年代初頭から
少なくともサッカー日本代表サポーターの間に日の丸と君が代に対する抵抗感はなくなりました。
まだ愛国心や日の丸が好きだ、と公言できる環境になって10年くらいじゃないですかね。
アメリカから持ち込まれた概念というのは、非常に抵抗感のある説明です。
そもそも愛国心、という言葉に含まれる国というのはどの範囲を指すのか。
いわゆる現代社会で言うところの「国」の概念がいつできたのか、という問題ですから。
つまり国民国家の成立時期はいつなのかということになります。
日本の場合、それは明治維新以降ということになります。
>この国の歴史を検証してみますと、大日本憲法下での『教育勅語』からは『愛国心』を読み取ることができませんでした。
こういうことを断定的に書くのであれば、少なくともソースは提示しましょう。
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http://www.sun-inet.or.jp/~hba7615n/tyokugo02.htm
教育勅語の訳文
天皇ご自身がお考えになるに、天照大神以来の天皇の御始祖たちが我が日本を建国するに際し、その規模は広大で、いつまでもその基盤が揺らぐことのないようにされ、さらに、御先祖たちは身を慎み、国民を大切にして、後の徳政のお手本を示された。天皇の臣民である日本国民は、いつの時代も忠孝を尽くし、国民が心を一つにしてその美徳を発揮してきたこと、これこそが国体の最も優れた点であり、教育の大もともここに根ざしていかなければならない。
お前たち臣民は、父母に孝行し、兄弟は仲良く、夫婦も仲睦まじく、友人とは信頼しあい、礼儀を守り、自らは身を慎み、人々には博愛の心で親切にし、学業に励み、仕事を身につけ、さらに知識をひろめ才能を磨き、人格を高め、進んで公共の利益の増進を図り、社会のためになる仕事をし、いつも憲法を大事にし、法律を守り、ひとたび国家の一大事となれば、正義にかなった勇気を奮い起こし、国家・公共のために身を捧げることで、天地と共に窮まりない、天皇を戴く日本国の国運が栄えることを助けなければならない。これは、単に天皇の忠良な臣民としての行動だけでなく、御先祖の残した美風を継承することでもある。
この教えに従うことは、まさしく我が天皇の御始祖たちが残されたおさとしで、皇室の子孫も臣民も共に守るべきものであり、昔から今に至る何時の時代に実践しても間違いなく、我が国で実践しても外国で実践しても道理に反しない。自分は、臣民と共に、このことを自分自身によく言い聞かせ、その教えを守り、臣君一体となってその徳をより高めたいと願い望む。
明治二十三年十月三十日
御名御璽
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ひとたび国家の一大事となれば、正義にかなった勇気を奮い起こし、国家・公共のために身を捧げることで、天地と共に窮まりない、天皇を戴く日本国の国運が栄えることを助けなければならない。
ここらあたりの表現は、国を守ろうという精神が出てます。
愛国心といっても差し支えないと思われます。
>最近では、新しい『愛国心』観念をもつ青少年は、この『愛国心』を価値観として戦前の『教育勅語』を再評価して、『教育基本法』を改正しようとする動きがあります。
最近の新しい愛国心観念とはなんでしょうか?
>『教育勅語』は、道徳律としてみるとすばらしいものがあり評価できますが、あくまでそれは明治憲法下での勅令であり、現在の日本国憲法下では無価値であることは言うまでもないですね。
>なぜなら、明治憲法下では有効だった民事・刑事上の法規定が現憲法下で廃止されたものを確認してもらえれば理解できると思います。
http://www.houko.com/00/01/M32/048.HTM
法律は詳しくないですが、商法は明治時代に施行されてます。
これは明治憲法下での法律なのではないのでしょうか?
>道徳としてのそれと法律の分野でのそれとは、違うわけです。
>すなわち『教育勅語』とは、命令であって、道徳ではないのです。
命令でも何でも、国民の生き方に対する指針を示しているわけで
道徳ではないと言い切れるものではないでしょう。
とりあえず字ズラに対する反論を書きましたが
そもそも何について論じたいのかがわからないので
そこを明確にしてくれますか。
よろぴくです。
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