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▼ホシくんさん:
>原発に関するアレルギーって、わが国が被爆国であるが故の敏感さ以外にも、
>失敗に対する代償が高すぎるという点で躊躇する部分があるのではないのかな?
>それが、特に「技術」の問題ではなく「人為ミス」がどうしても避けられないとなれば。
これは乗り越えていかなきゃ、と思います。
>すべての技術上の問題には技術的な解がある、と思っとりますが、
>人為ミスはどうしようもない。いくらフェイルセーフを考えても、
>それを上回る人間ならではのミス。
高潔な精神(職人気質?プライド?)に裏打ちされた
豊かな社会が築けるといいですね。
>私のスタンスは、原発に変わる安全なエネルギー源の開発は今後も継続し、
>それが普及するまでの間(100年以上かかるかもしれんけど)の繋ぎとして
>という前提で、是。
私の立場からすると現在の状況では原発建設には反対せざるをえません。
>あと、原発自体が事故らなくても戦争状態になったとき、最初に狙われる
>施設だってことも考えとかにゃならんと思うし。
それもありますね、気がつきませんでした。
横レスで失礼します。出てきましたね、原発問題!!。
私が反対する理由は、原発は僻地にばかりに建設され豊かな自然環境が破壊される
からです。最近では、山口県の上関原発問題が気になっています。
原発に限らず、火力でも産廃処理場でもリゾートでも、自然を破壊するものは嫌いです。
〜まったく自然に手をつけずに人類の営みはありえないのはわかります。
これはまた別の場で話し合いましょう〜
原発はなぜ、僻地にばかり建設されるのでしょうか?。地域活性化のためなら、
発電所やハコもの誘致はもはや時代錯誤だと思いますよ。堂々と「安全宣言」した
上で、大電力需要地である都市近辺に建設したほうがリーズナブルだと思い
ませんか。安全性に今一つ自信がもてず、万が一のときは市民への被害が少ない
ように、との後ろめたさが働いているのではないかと、勘ぐりたくなります。
つまり、原発が安全性が認知され火力発電所並に都市部の工場地帯に建設される
ようになり、いたずらに風光明媚な自然が大都市住民の犠牲になるようなことが
なくなれば私は賛成にまわりますよ。なにしろ地球温暖化への影響も少なそうで
しかも再利用可能な理想のエネルギーですからね。
わたしの居住地の目の前に、貴重な干潟を埋め立てて造成したものの、お目当て
の自動車工場は進出見合わせのままという広大な敷地がありますが、もう埋め立てて
しまっているので、どうしても原発というならここにつくったらいいのではないか
と思います(ビッグアイもここに作れば良かったのに、広い駐車場が確保できる
・・・脱線です)。
都市部に立地が認められるかが安全性のバロメータだと私は考えます。
もし事故を起こせば多くの市民の生命に危険が及ぶと考えれば、職員の意識も
向上し一石二鳥ではないでしょうか。
ところで、今後の電力需要について。新聞紙上では増大論と頭打ち論と繰り広げ
られていますが、どちらもはじめに原発(反対)ありきの感があり、
客観的な視点にはなかなかお目にかかれません。今、原発をすべて停止したら、
日本は1976年の水準に戻ってしまうと言われ、「1976年は貧しくなかった」と
言いきった、さだまさし氏を思い出します。上記の安全性が確立されるまでは
需要を押さえる叡智もあっていいと思います。
ちょっと話がそれますが、最近息子(小学生)の社会科の教科書を見て、やたら
環境だのリサイクルだのばかりで、なにか社会全体が萎縮しているような気が
しました。昔は太平洋ベルト地帯とか、伸び行く高速道路など活気あふれる内容
だったのに、当時から開発反対の立場をとりつづけてきた私も責任の一端は
あるのかなと、ちょっと情けなくなりました。なにごともバランスと程度もの
だと思いますが。
また感情論ばかりになってしまいました。
ヨルカクケイジバンハアサヨムトハズカシイ〜(なにかのぱくりです)
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