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【133】Re:今日の一言vol1
 まあしい(反応市民)  - 03/7/3(木) 23:32 -
  
▼tetoさん:
どうも、先日「君が代のすべて」なんていうレアすぎる
CDを見つけてしまった国歌フェチです(苦笑)。

>君が代を反対する人たちが使う説明があります。
>曰く、「君が代は天皇の治世という意味だから民主主義の現代にはそぐわない」。
>
>そういう人に対してぼくはこう反論することにしています。
>君が代の君は歌う人がそれぞれの「君」を想定すればいい。
>もし仮に君が代の君を天皇だとして何が悪いのか。
>憲法、第1章第1条で天皇は日本国の象徴だと規定されている。
>つまり、「君=天皇=日本」であり、そう考えれば日本が末永く繁栄するように
>と歌われているわけです。
>何もやましいところはないじゃないですかと。

いましたね、主権在民だから、ってわざわざ「民が代」なんての
創ってきた人たち。…ってか何だよそれ(苦笑)。
http://www.thefuture.co.jp/japan/a01.html
(↑面白い問答集があったので参考までに)

「君=天皇」というドグマで硬直してるから、余計おかしくなるわけですね。


>
>君が代に反論する人は、こんなことも言ってきます。
>あの歌の元、世界の人たちに戦争の惨禍を与え苦しめた。
>だからあの歌は歌うべきじゃない。
>
>そういう人にはこう反論することにしてます。
>
>史上、戦争を起こさなかった国がどれほど存在しますか?
>アメリカもフランスもUKもスペインも中国も韓国もみんな戦争を経験しています。
>戦争を起こすたびに国旗国歌を変える必要があるんですか?

同感ですね。
たとえば中共の国歌、あれはもともと反日プロパガンダ映画のテーマ曲だったことを、
あの歌の中で蹴散らされる「敵」というのはとりもなおさず日本人であることを、
知ってる人がどのくらいいるのかと小一時間問い詰め(以下略
あの国歌こそ先の戦争の惨禍を想起せしめる、と主張したい…というのは
さすがに冗談ですが。


>ちなみにノリのいいフランス国歌には有名な事件があります。
>92年のアルベールビルオリンピックの開会式のときのこと。
>10歳の少女が、アカペラでフランス国歌を独唱したんですね。
>日本人が聞けば美しい歌声ですばらしいと感じられるわけですが
>フランス人ににしてみると「なんであんな少女にあんな残虐な歌を歌わせるんだ」
>ということで歌詞を変えるかどうか論争になったそうです。
>
>フランス国歌 アルベールビル でググると出てきます。
>ちなみにフランス国歌の日本語訳は以下の通り。
>
>ゆけ、祖国の国民
>ときこそ いたれり
>正義のわれらに
>旗はひるがえる 旗はひるがえる
>聞かずや 野に 山に 敵の叫ぶを
>悪魔のごとく 敵は血に飢えたり
>たて 国民 いざほことれ
>進め 進め あだなす敵を ほふらん
>
>これを読んで
>「フランスは、さすが世界中に植民地をもつ残虐な国家ですね」
>とは言わないわけでこういうところで君が代反対論者はダブルスタンダードだと思うんですよね。

ラ・マルセイエーズも軍歌、行進曲ですからね。
…まさか、革命の歌だからOKなんじゃあるまいな??(苦笑)<反対論者

>
>ちなみにフランスワールドカップのとき、トゥールーズからパリへ向かう夜行列車での中のこと。
>
>居合わせたアルゼンチン人から日本の歌ですごくいいのがあったといわれました。
>で、なんだろうと日本人女性2名を含めた3人で頭をひねったんですが
>どうやら君が代らしいことがわかったんですね。
>
>で、その場で3人で歌ったらそうだと。
>ものすごくきれいな旋律だった、とほめられました。
>自分のアイデンティティをほめられたわけで誇らしかったです。

誇らしい、いい話ですね。
あの雅楽のメロディが評価されたわけですから。

長野オリンピックの開会式でしたか、あれは世間では悪評ぷんぷんで、
ぼく自身も「そこまで外人好みの『NIPPON』を強調せんでもええだろ」
とは思いましたが、
あの中でいまでも心に残ってるのは、
雅楽として笙・篳篥で演奏された君が代と、最後のブルーインパルスの、
第9が終わると同時にまっすぐ伸びた5色の飛行機雲です。
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【132】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 teto  - 03/7/3(木) 23:28 -
  
▼masatoさん:

いやー、びっくり、の反応なんだけど。

怒る前に質問には答えてほしいんだけど
怒りに打ち震えてもうどうしても議論を続けられないというなら議論はやめてもいいよ。

君が判断して。
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【131】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 masato E-MAIL  - 03/7/3(木) 23:14 -
  
▼tetoさん:
>バリバリのサヨク用語なんだよね。独占資本とか反動化とか。
>法曹界は左よりの人が多いと聞くけど、実際それっぽいね。
>まあ、三権分立のなかの一つの権力で
>国家権力に対抗するという目的意識に燃えている人が多いのは事実なんだろうけど。
>それにしても無駄に左寄り過ぎる。

tetoさん!、知って言っているのか知りませんが、事あるごとに「バリバリのサヨク」であるとか「ヒダリ」であるとか、表現されますが、これってすごく迷惑なんですよね。
私のいう『保守政党』に対するのは、社民党と共産党などの『革新政党』のことです。
他の政党は、『保守政党』なのですが、こうした分類は、講学上のものであってその他の意味合いはないですよ!。

で、何が迷惑かといいますと、

>共産主義が崩壊した原理と同様、人間は楽なほうに流れるのでは?

この国では、共産主義というのは崩壊していません。
共産主義政党は、朝鮮戦争において資本主義と社会主義の対立から『レッド・パージ』において弾圧されて、今のこの社会においてもその慣習が残っているわけです。
それは、どのような事情であれ、憲法上このような弾圧というのは許されるわけではありません。

勝手に『バリバリのサヨク』であるとか『ヒダリ』であるとか結び付けられますと、社会生活上不都合が生じたりする場合があるわけで、ネット上においてもそのように結び付けられますと、非常に迷惑なわけですよ!。

こうした傾向は、この日本だけではなく、tetoさんの嫌いなアメリカにおいてもあるわけです。
つまり、tetoさんは、アメリカ的な発想というわけです。

気づいていないということは、多分知らないということでしょうからそういうことです。
知って言っているのでしたら、迷惑ですし、性格が悪いですよ。
それで、すんだらいいのですが・・・。
議論以前にそういうことをたびたび言われますと、話をするのも嫌になります!。
そういうことです。以上。
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【130】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 まあしい(反応市民)  - 03/7/3(木) 23:00 -
  
▼tetoさん:

>議論を続けたいのであれば
>最低でも[#125][#126]で君に問いかけた質問に対して答えて。
>
>>できれば、いろいろな方の意見が欲しいですね。まあ、私を攻撃する意見はご容赦ください。
>
>いろんな人の意見がないのはなぜだと思う?
>ヒントは書いてきた。

ヨコレスで申し訳ないですが、ちょっと読んでいて思ったこと。
乱暴だったらごめんなさいね。

ひとことで言えば
「masatoさん、タダでさえ言葉の行き違いとかで誤解されやすい
話柄なのに、余計にまわりくどくゴテゴテと書き連ねてどうするよ?」
ということではないでしょうか。
tetoさんはとくに、文章を書くお仕事をされているから、
おわかりだと思うんですけど、こういうコミュニケーションの場では、
「いかに自分の意見を、簡潔に、わかりやすく伝えられるか」というのが
ひとつの大きなポイントでしょう。
いきなり池田とロバートソンがどうだ、「愛国心」がアメリカに
仕組まれてこうだ、と大上段に振りかぶって論じるのも、
まあ好きならそれでいいんですけど、
(まあわざわざよく調べたな、とは思いましたよ正直)、
ちょっとそういう話題の振り方はないんじゃないかと思いましたよ。
どこどうとっついていいか、探すので疲れちゃいます。

普通なら、
「tetoさんは愛国心は大事だ、っていうけど、俺はこう思うのね…(以下
自分の思うことをわかるように説明)、それはね…」で、補足説明のための
参考資料としてその会談のことを出す、とかして進めると思うんですが、
違いますかね。

また、tetoさんが出した質問にも、まずあなたの言葉で答えたほうが
いいと思います。見る限り、tetoさんはmasatoさんが振った「愛国心」の
定義などを訊いているのに、またロバートソンがうんたら、というのは、
ちょっと議論以前の問題かな、と。
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【129】理由?
 hiroko  - 03/7/3(木) 20:19 -
  
幼稚だから。よく恥ずかしくないよね。典型的。憂国的。以上。

ひとりごとですから。しかしネットってこういうの多いよなー。
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【128】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 teto  - 03/7/3(木) 18:01 -
  
▼masatoさん:
>▼tetoさん:
>>はい、池田君会談の件、終わり、でいいよね?
>
>ダメです。(笑)

議論を続けたいのであれば
最低でも[#125][#126]で君に問いかけた質問に対して答えて。

>できれば、いろいろな方の意見が欲しいですね。まあ、私を攻撃する意見はご容赦ください。

いろんな人の意見がないのはなぜだと思う?
ヒントは書いてきた。
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【127】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 masato E-MAIL  - 03/7/3(木) 17:24 -
  
▼tetoさん:
>はい、池田君会談の件、終わり、でいいよね?

ダメです。(笑)
『池田・ロバートソン会談』は、歴史上にしても今論じられている『愛国心』論にしても重要な意味を持っていると私は位置づけています。
池田君は、後の首相で、この会談には、元首相であった宮沢議員がその若かりし時主席していたそうです。
ロバートソン君は、他国の要人ですから関心もなければ興味もないです。

それで話は戻りますが、tetoさんのいうヒダリよりのとあるメディアが、日本代表によって青少年が愛国心を論じていてそれを危惧しているそうですね。
『池田・ロバートソン会談』でみることができたのは、愛国心と防衛の精神が戦後直ぐの時点で両国政府によって確認されていたと言う歴史上の事実ですね。

それが私がこれから取り組もうとしている論点と密接に関わってきます。
でも池田君もロバートソン君は、これからあまり登場しません。
ここまで、『愛国心』について論じてきましたから、これを一部としてこれからは、自衛隊や安保条約関連を第二部として、憲法改正の歴史を第三部とすることを構想しています。
それらに取り組んだ後また後で、『愛国心』について論じるもよしです。
ひとまず私は、この『愛国心』については、休戦します。

これからの私の予定は、一日一レスを目標に前やり残した憲法9条の解釈論を取り組んでから、またこのスレッドに取り組む予定です。

>なんか、君との議論はまったくかみ合わないので疲れてきたよ。

tetoさんが頑固者だからです。私もそうですが。(笑)
多分これから取り組む予定の安保関連では、意見が一致すると思います。

>愛国心がアメリカから輸入されてきたとかって、普通そんな仮説立てる?
>というのが一般的な人の反応じゃないかな。

後で取り組む予定の安保条約関連に密接に関わってきます。
その前に『愛国心』論に取り組む必要がありました。
それらが終わった時もう一度『愛国心』論を見てみてくださいな。

>だって、下にも書いたけど、本能的なものだと思うし。

tetoさんが教育畑から社会人になったのは、そんなに長くないですよね。
それでも教育畑では、『愛国心』について学んでいないと言うわけです。
そう考えてみますと、tetoさんは、『愛国心』について比較的最近取り組んでいたことになります。

そういえば、tetoさんは、この仕事を始める前からずっと日本代表を応援しているとこのサイトで知りました。
じゃあ、tetoさんは、日本代表を通じて『愛国心』に触れたということになりますよね。
いいとか悪いとかいう話ではないです。確認のためです。

私も大分トリニータを応援する前は、日本代表をテレビ中継ですがアメリカ大会以後応援しています。
その中で、大分トリニータを応援するようになりましたし、そこから『郷土愛』が芽生えたことになります。

私もそうですがtetoさんも、大学進学のため、大分から一度出ています。
大分から出る時は、この大分がださくてかっこ悪い田舎であると思っていたわけですよね。
そこに『郷土愛』なんてなかったわけです。
じゃあ、どこかで『愛国心』に触れて、どこかで『郷土愛』にいたったわけです。
まあ、私は、花の都東京を知らない地方都市で育った田舎者の若造君ではありますが。(笑)

そういえば、日本代表を通じて『愛国心』にふれた青少年の皆さんが、そこから『郷土愛』に触れる地元のJリーグチームを応援してくれれば、政治的な危惧なんて問題にならないのですけどね。
そこで、Jリーグの掲げる『百年構想』にある意味期待をしております。

あと、ひとつtetoさんに意見ですが、少し世の中をヒダリであるとかミギであるとか区別しているところがありますよね。
法曹界にヒダリよりの人が多いとの認識のようですが、私は法曹界といえるほどの者ではないただそれを勉強している若造ではありますが、少し違和感を感じます。
ヒダリであるとかミギであるとかその語源は知っているのですが、最近の世の中はそうした区別をしようとしすぎているのかなと思います。
まあ、右も左もわからない若造の拙い意見ではありますが・・・。(笑)

教育現場の具体的な問題について意見を求められましたが、私は、教育畑で生活しているわけではないですし、それを目指しているわけではないですよね。
じゃあ、パスその一ということで・・・。それでは、先生方がんばれ!というメッセージとみてくださいな。
政治問題については、これまた政治家になりたいわけではないですが、政治不信を抱く若造君の意見とみてくださいな。
アプローチの方法は、その勉強している分野からのものですから、それをご理解ください。
できれば、政治家の先生方がんばれ!というメッセージとしてみてくださいな。
法の下の平等とは、憲法理念ですから、それは、本旨の『愛国心』論とは離れますからここでは、お答えできませんということで、パスその二です・・・。

そういえば、『愛国者』といえば、最近まではテレビゲームシリーズの『めたるぎあそりっど』ぐらいしかイメージがありませんでした。(笑)

>ということで、スタート。

ごめんなさい。本旨の『愛国心』論と離れているように感じますから、申し訳ないですがパスです。
来週ぐらいから次の論点に移りたいと思います。
できれば、いろいろな方の意見が欲しいですね。まあ、私を攻撃する意見はご容赦ください。
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【126】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 teto  - 03/7/3(木) 3:23 -
  
>>日本代表がその力を誇示し、プロサッカーが国内で認知された90年代初頭から
>>少なくともサッカー日本代表サポーターの間に日の丸と君が代に対する抵抗感はなくなりました。
>そうした背景から『愛国心』が気軽に論じられるようになったと見ています。

俺は日本が好きだ。
で、いいんじゃないの?
ワールドカップに熱狂し、五輪に熱狂する。
そのベースは愛国心ですよ。

>>アメリカから持ち込まれた概念というのは、非常に抵抗感のある説明です。
>アメリカから持ち込まれた概念という私の説を切り崩すためには、『愛国心』の由来を『池田・ロバートソン会談』以前から見つけなくてはいけないと思います。

これも前に書いたからスルー。
君も持つ愛郷心が国に拡大したときに愛国心となる。
それは人間が当たり前にもつ感情です。

>教育の中から教え込まれた概念であるとすれば、それを見つけるのは大変困難な作業だと思います。
>つまり、文献の中で見つけようと思うのでしたら、戦前以前に教育された人によるものでなければその証明が困難だと思います。tetoさんも自分自身を疑ってみる必要があると思います。なぜなら、教育によって本質をすりかえられている可能性は否定できません。

だからこんな風に難しく考える必要はない。

>歴史学は全く詳しくないですから、『愛国者』の由来が明治維新以降であるのか古代史に求めるのかはわかりませんが、明治憲法下での天皇制を観点に探ればtetoさんが以前述べていた古代史に起源があることになりますね。

人間は自分のかかわりのあるものに愛着を感じるわけで
愛国心は本能の一部でしょう。
つまり国という概念にもよるけれども
愛国心と同じベースの感情は人間が生まれたときから持っているはずです。

>愛国心という観念がアメリカからものでしたら、歴史の浅い移民による国家でありしかも国の連立国家であることから、国民をまとめようという意思がかかる場合に『愛国心』というのは、とても便利な観念に思えます。

便利だと思います。

>しかし、およそ単一民族によりなりしかも天皇制度の下長い歴史を有するこの国では、そうした『愛国心』という観念は育たないものだと私は思います。

そんなことはない。

>他国による侵略に対する防衛心というのは、あまり侵略戦争を経験したことのないこの国では発想できないものだと感じます。

そんなこともない。

>今の国民からみたら、間違いなく明治憲法化の臣民というのは理解しがたいものだと思います。
>ですから、臣民の義務として国を守らなければならないというのと、おそらく祖国を愛して祖国を守りましょうねという『愛国心』とは、緊張感が違うものと思います。『愛国心』からくる国防意識というのは志願したい人はどうぞといったニュアンスに対して、明治憲法下である天皇の家来としての徴兵制が伴うことにも注目して欲しいです。

臣民であろうとなかろうと、愛国心はあるでしょう。
緊張感が違うというのはその通り。
戦前は戦争が当たり前にあった国だったわけで
おまけに徴兵制だったわけで。

>>最近の新しい愛国心観念とはなんでしょうか?
>私は、『池田・ロバートソン会談』において確認された『愛国心』と最近気軽に論じられている『愛国心』を区別して考えてみたわけです。

それがよくわからない。
池田君とロバートソン君の会談で確認されたと君が主張する愛国心とは
つまり戦争も視野に入れた愛国心ということなのかな?

それに対して今言われている愛国心はスポーツを通して作られたもので全然重みが違うと。

別にぞっとするほどのことではないと思うけれど。

愛国心というのは、自分の国を愛する気持ちで
愛するものを壊されるとしたら、それに反発する気持ちがわいてくるのは必然。

>確かに商法もですし民法も最近口語約された刑法もそうです。

であるならば、明治憲法下での法律は今も生きているわけだよね。
もちろんすべてが残っているわけじゃないけど
時代に合わせてかわってきているわけだけど。

>親を殺害すると言うのは、道徳的に見てそりゃとんでもないわけですが、法の下では罪であれ平等であることが求められてようやく最近削除されたと記憶しています。

平等の使い方が決定的にまちがっとる。
バカタレ。
親を大事にしなさい。
まあ、大事にしてるのはしっとるが。

>道徳であればそれに従うことは各自の判断によるのですが、それが命令であったり法律であったり国によるものである場合はそれに従う義務が生じます。道徳と法律上の命令とはそうした意味で違うわけです。

道徳教育は強制です。
先生が「ごみはできれば捨てないでください」
なんていって、クソガキどもが言うこと聞くか、たわけ。

「こら、masato。どこにごみ捨ててるんだ、バカタレ」
で初めて動物が人間としての常識を一つ身につけるわけです。

人間は、人間として生まれてくるわけではないのだよ。
教育によって人間になるんだよ。

>ここで確認しなくてはならないのは、大学では先生は自分の研究した内容を自由に講義できるわけですが、高校生までの教育では検定に合格した教科書の中で先生は生徒を教育しなくてはならないのであって自分が研究した内容を教育できない、ということを知らなくてはいけません。ん?、矛盾がありませんか。

高校までかけなければ基礎が教えられないからでしょ。
基礎を知らずに応用させてだれが理解できるの?
四則演算を知らないで、微分積分が解けますか?

こんなことごくごく簡単な事なんだけどなんで議論せにゃならんのだ?

>それなら先生方が『教育勅語』を研究して生徒に教えればいいのですが、それを国はだめだということで制限を加えているのに、さらに教育基本法を改正して『教育勅語』を取り込もうとしているわけです。
>この国の教育行政は、前述のように国家統制化されてなおもこの国の憲法理念を捻じ曲げようとしているわけです。
>これは、憲法23条の学問の自由と26条一項の教育を受ける権利の問題です。

では聞くが、君の理想とする教育行政とは?
そもそも行政が教育にかかわるべきではないと?
野放図な教育が理想なのでしょうか?
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【125】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 teto  - 03/7/3(木) 3:23 -
  
▼masatoさん:

>こうしてみると『池田・ロバートソン会談』の歴史的な年表を確認できます。
>借り物の文面で申し訳ないですが、「また1953年の池田・ロバートソン会談での確認(「日本政府は、教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである」)や独占資本の要求をふまえ、教育の反動化・中央集権化がすすめられた」とあります。

バリバリのサヨク用語なんだよね。独占資本とか反動化とか。
法曹界は左よりの人が多いと聞くけど、実際それっぽいね。
まあ、三権分立のなかの一つの権力で
国家権力に対抗するという目的意識に燃えている人が多いのは事実なんだろうけど。
それにしても無駄に左寄り過ぎる。

まあそんなことはさておき、上の文章で確認されたという内容が果たして
誠実に国内で履行されているのかどうかは疑問符がつきます。

>『池田・ロバートソン会談』の意味するところは、保安隊に入隊する青少年を教育によって育てなさいということだと思います。
>疑問として平和主義を謳う日本国憲法をある意味押し付けた米国が朝鮮戦争を機に警察予備隊を創設しなさいと言う、また一方では防衛のための意識を高めるために『愛国心』教育に取り組みなさいと言ったわけです。ここに大きな矛盾を感じたわけです。

この会談でそういう話がなされたのは事実なんだろうけど
一方で日教組はがんばってさ
自衛隊の子供は人殺しの子供だ、なんて学校でつるし上げてるんだよ。
そういう事実は知ってますか?

>教育勅語が絡んだ理由としては、『愛国心』とはこの国の固有、つまり戦前戦後を問わずこの国に生きてきた、また生きている私達が有してきた価値観であるのかどうなのかを知るために戦前の教育の中心であった『教育勅語』にそれを求めたわけです。また、検索したサイトでは、教育基本法の手直し論と愛国心、また戦前の教育勅語に触れていたわけです。こうしたことから、これらは密接した論点なのかもしれません。

教育勅語なんか持ち出さなくても
戦前は愛国心があったでしょう。
愛国心がなければ、国のために死ねません。

>『愛国心』という観念のもととして『池田・ロバートソン会談』に注目しているわけです。
>歴史上『愛国心』という観念がそれ以前にあったとすれば、私の拙い説はあっけなく崩れ去るわけですが、それを私は知りたいのです。そもそも『愛国心』を語る論者は、その定義やその由来をどこに求めているのか知りたいところです。
>tetoさんもよく『愛国心』なるものを表現しようとしていますが、これを試みてください。その定義と由来についてです。

ここらへんは前に書いたのでスルー。

>私は、『池田・ロバートソン会談』にその由来を求めているわけですが、最近良く目にする『愛国心』とそれを分類することに試みてみました。
>そもそも『池田・ロバートソン会談』で確認された『愛国心』を米国から持ち込まれた観念としてみているわけですが、最近良く目にする『愛国心』は同一のものですか。私は、同じ観念だと思います。

つまりどういうことなんでしょうか?
説明してもらえますか。

>>ちなみに戦後の日本の教育界では愛国心はタブーでした。
>ん?、私が上で書き込みした池田・ロバートソン覚書では、『愛国心』を教育しなさいとありましたね。

この論法が成り立つのであれば
「日本は軍事力を持つよね」
「ん?、憲法九条で禁止されているはずだけど」

という話が成り立ってしまいます。

歴史的に何かの会談が行われて、合意されたとする。
しかしその合意が実際に履行されるのかどうかは
合意の存在によって判定するのではなく
合意に基づく行動が、現場で実際に存在したかどうかで判断すべきではないでしょうか。

こんなこと当たり前のことなんだけどね。

>私もよく知らないのですが、『夜の教育委員会』というものがあったらしいです。

今でもあるみたいだよ。

>憲法のテキストでは、『池田・ロバートソン会談』を実現されるために国家統制化の諸政策が行われたそうです。
>これも借り物の文面で申し訳ないですが、「その目標の実現のためには、文部省→教育委員会→校長→教師→児童・生徒と、「国家意思」を上から下まで伝えることが必要である。

では逆に聞きますが、国家意思を持たない教育とはどのようなものを想定していますか?

日本では、文部科学省が教科書検定を行って
教科書がある程度のクオリティと多様性を維持するような制度を作っています。

中国や韓国では教科書は国定で、定められた一種類の教科書しか存在していません。
こちらのほうがより国家統制の度合いは強いです。

>・・・・・「教育二法」が、国会に警察官を導入して強行成立させられた。

「警察官を導入して強行成立」、という言葉に反応していますが
問題は何をどう変えたのか、という部分であるべきです。
何をどう変えたの?

>・・・1956年公選制の教育委員会を廃止して、自治体の首長の任命による教育委員会とする「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が、これも国会に警察官を導入して強行成立させられた。

公選制から任命制になることの弊害は?
そもそも自治体の首長は、その自治体の住民によって公選制で選ばれており
その首長が任命する組織は、自治体の住民の賛意を間接的に得ていると考えて間違いないのでは?
国会の中で首相を選ぶのとまあ同じ考え方だよね。

そもそも教育委員会を公選制で選ぶというのは
住民に対して教育現場の人材を見抜くことを要求するわけで
ハードルが高いと思いませんか?

昔、最高裁の裁判官の信任投票をやったけど
意味わからんもんね。

>・・・・・1958年からの教師に対する勤務評定(勤評)の導入であった。

教師がその働きを評価されて何が問題あるんでしょうか?
働かない教師と働く教師が同じ現場にいて、評価されないとします。
つまり、同じ給料をもらうとします。
共産主義が崩壊した原理と同様、人間は楽なほうに流れるのでは?

教師を評価してはいけないとは、これいかに?

>・・・・・偏向教科書キャンペーン、教科書検定機構の強化、学習指導要領の法的拘束化などがおこなわれた。

偏向教科書といいますが、何がどう偏向しているんでしょうか?

サヨクはいつもダブルスタンダードなんですよ。
家永裁判では、検定をなくせという。
しかし、作る会の教科書が世に出たときは、検定を強化して
あんなものを世の中に出しちゃいかんと言う。

教科書採用の現場はどうあるべきと考えているんでしょうか?

君はどう考えているの?

>・・・・1961年から全国一斉学力テストが行われた。

一時、サヨクマスコミや日教組なんかの反対で中断されていましたが
また復活するようで。
つーか、テストして何が悪いわけ?

学力の順位が決められるのが「平等ではない」とか言うの?
順位がはっきりすると、教師の怠惰がばれるから反対しているとしか思えないんだけど。

>国家統制化のために教育行政に対して過激なことが行われたようですね。

教育を行政が取り仕切るときに国家意思が介在するのは仕方ないでしょう。

教育とは、その国が持つ価値観を国民に洗脳する作業でしょ。

韓国の教育とか見てたらまさに洗脳ですよ。
歴史の捏造をしているのはどっちの国だよ、と思ってしまう。
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【124】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 teto  - 03/7/3(木) 3:21 -
  
この部分でこの議論の大半は終わってると思うんだけどせっかく書いたので
下のほうで書いときます。

>『池田・ロバートソン会談』で日本政府は愛国心と防衛の精神を広報と教育を行うと現実に確認されているわけですね。
>で、愛国心教育がされていたという事実も残ってるわけです。

といいつつ

>>また自分の皮膚感覚で今までの義務教育の中で愛国心を教えてもらった感覚が残ってますか?
>
>そうなんですよね。確かに『愛国心』教育を受けた記憶はないですね。

という。

はい、池田君会談の件、終わり、でいいよね?

終われない、というのであれば改めてやるけど
なんか、君との議論はまったくかみ合わないので疲れてきたよ。

愛国心がアメリカから輸入されてきたとかって、普通そんな仮説立てる?
というのが一般的な人の反応じゃないかな。
だって、下にも書いたけど、本能的なものだと思うし。

ということで、スタート。
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【123】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 masato E-MAIL  - 03/7/3(木) 1:51 -
  
▼tetoさん:
>▼masatoさん:
>>えーと、要するに『愛国心』とは、何かについてです。
>今度スレッドを立てるときは、議論のテーマをタイトルにしようね。

ここの『愛国心』は、後でまた取り上げようと思っている自衛隊の前身である警察予備隊と保安隊や安保条約関連などと絡みますから、また今度取り組んでみようと思います。
今の論点は『愛国心』についてですが、このスレッドの趣旨はこの歴史を今一度振り返ろうということです。
次の論点に移る際は、反省を踏まえて取り組んでみたいです。

>それはありえないですね。

『池田・ロバートソン会談』で日本政府は愛国心と防衛の精神を広報と教育を行うと現実に確認されているわけですね。
で、愛国心教育がされていたという事実も残ってるわけです。
私の仮説は、祖国を愛し祖国を自らで守ろうという『愛国心』の精神がアメリカから持ち込まれたのではないかということですね。

>ところが、実情は、今現在教育基本法を改正しようという議論の中で
>愛国心という文言を入れようとするだけで各方面で大騒ぎしてます。
>こういう反応見て、まず今までに国が先導して愛国心を教えて来たわけがないといえます。

国家統制によって教育の反動化が行われたということを確認しました。
そういった反動化した教育行政への国民の反対によって『愛国心』教育がタブーになったと見ることができます。この点は、確認できていません。

>また自分の皮膚感覚で今までの義務教育の中で愛国心を教えてもらった感覚が残ってますか?

そうなんですよね。確かに『愛国心』教育を受けた記憶はないですね。
それよりも、受験勉強の詰め込み型の教育を受けた記憶しかありませんね。
あと、一応確認ですが、義務教育とは小・中学校までの国に対する父母の子女に教育させる義務のことです。

>逆にぼくは自虐史観に基づくダメダメ国家日本というものを教えられてきました。
>これは愛国心とは対極にある教育でしょう。

歴史の教育の中では、世界史も日本史も人間が二足歩行を始めたというはじめの部分は扱っていたのを良くおぼえているのですが、一方で今回検討している近代史や現代史というのはなかなか学んだ記憶が乏しいです。
そうするとだめだめ国家日本について学んだ記憶はないです。

>国民国家が成立して初めて成り立つもので
>国民国家とは何かというとそれは近代に入ってできてきた新しい概念なんですよ。
>http://d.hatena.ne.jp/saiton/keyword/%B9%F1%CC%B1%B9%F1%B2%C8?kid=5694

申し訳ないですが、国民国家というのは、記憶がないです。もしかしたら、国際法で学んだかもしれません。
そのサイトによると、国民国家とは、国民・領土・主権がその要件のようです。
日本がこの3要件を備えるができましたのは、戦後この日本国憲法によってです。
ちょっと振り返ってみて、江戸時代では、人民は、士農工商の身分があり、それぞれがその領土を治める殿様のもとで生活を行っていましたね。そうすると身分制のある人民は、国民とは言えないですよね。
立憲民主主義となった明治憲法下では、人民は身分制のない臣民という地位につき制限つきではありますが選挙権を有するようになりました。しかし、ここでは欽定憲法下であり主権は元首である天皇のもとにあったわけです。ですから、ここでいう主権を国民が持っていたというわけではないです。
一つ確認しますが、明治政府がモデルとしたプロイセン憲法は、当時のヨーロッパで遅れていましたし、それが君主主義を採用していたことに着目して天皇制にアレンジすることで本来国民たる地位を天皇の家来である臣民したと、記憶しています。
そうして考えてみますと、国民国家たる3要件を備えることが出来た戦後の日本国憲法下ではじめて『愛国心』という観念が成立したと言えます。

>で、坂本竜馬が動いて大政奉還させたわけだよね。
>で、新政府を作った。それが明治維新。

『竜馬がゆく』の作品を描いた司馬遼太郎さんに着目して、彼が生きていた時代を検証してみようと思ったのですが、1923(大正12)-1996(平成8)でしたので、戦後愛国心教育を受けていたと証明することが出来ませんでした。
この作品の中では、坂本竜馬がペリー来航のいわゆる黒船来航によって『外患内憂』や『尊皇攘夷』などを感じ、新政府樹立のために奔走していた姿を見ることができました。
ここに『愛国心』を見ることができるようですが、坂本竜馬は武士の家柄でしたし、薩摩長州などで名を残していた人物なども結局のところ領主の利益のためにそうした活動をしていたと見ることができます。
好きな作品ではありますが、そこにここで論じている主権者としての『愛国者』を読み取ることができませんでした。
その他彼の作品を途中までですが、『坂の上の雲』や『飛ぶが如し』などを読んだことがあります。
これらでは、『愛国心』を読み取ることができましたが、前述のように憲法上天皇の家来としての地位でしかなかった臣民でしたから、主権者たる身分による『愛国者』であるかどうかわかりません。
確認しておかなければならないことは、彼は日本国憲法下で成功した小説家であるということです。

>この時点から、国の単位が殿様中心の狭い世界から
>日本全土に概念が広がったわけ。

この点では、歴史上この国が国際的な地位を築く上で重要だったと思いますが、国民国家という要件では、領土という要件は満たしましたが、国民と主権の要件は、臣民たる地位と天皇主権という明治憲法下では満たされていません。

>じゃあ、江戸時代に愛国心がなかったかというとそれはそれであったわけ。
>つまり殿様に対する忠誠心と、殿様が治める領土に対する愛情ね。

人民が主権者としての地位を獲得してはじめて国民による主権が実現されるわけで、殿様であるとか君主であるとの権力を抑止することが必要になってくるわけです。

>例えば君は大分トリニータを応援しているわけだけど
>それはなぜかというと、おそらくは大分出身者だからだと思うのね。

確かに大分にトリニータがあり、私は応援しているわけです。そこで、郷土愛を大分という地元に感じます。
ところがこれは、私の自主性によってはじめて感じるところですし、間違っても押し付けられてのものではないですね。

tetoさんは、大分トリニータというチームの存在を知り、そこで今の職業をされていると知りました。
明治憲法下でも職業選択の自由がありましたが、ところが、このような報道をするにも制限がありましたし、自由な思想による自由な発言も保障されていたわけではないですよ。
保守化であるとか反動化というのは、こうした自由に制限を加えようとするものなんです。

>よく考えると、あれは道徳の規範であって愛国心とかは関係ないね。
>それは強制という意味合いがあってもおかしくない。

一見一面について良かれと思うことでも、それが正しくない方向に向かっているということもあります。
『愛国心』によってこの国の認識を考えてみようという取り組みは、とてもいいと思います。
ところが、『池田・ロバートソン会談』で確認することができたように、『愛国心』という観念は、後で取り上げようと思っている自衛隊や安保条約関連に絡んできますし、保守政党による反動化ということも見逃すことができません。

>そしてそれは特に批判されるべきものでもないと思う。
>それが道徳教育というものでしょう。

もし教育において教師にもっと自由があれば、道徳教育ももっと実りあるものだったかもしれません。ところが前にお話したように、国家統制による反動化によって教師の教育する自由なるものが制限を加えているのです。じゅあ、国家で道徳教育をしようとするのが、時代を逆行することを意味します。
道徳というのは、戦後では子供の近くにいる人が親であり先生であり、子供に対して教えていたものだと思います。
ところがこうしたことがだんだんできなくなっているのも事実ですよね。
親は仕事に手がいっぱいで、教師はその教育について制限を加えられていますし、子供と言えば親よりも忙しい日々を過ごしているわけです。
こうした中で子供が十分な人格を築くことができるかといえばそうではないですね。
こうした社会問題を国で扱おうというのは間違いだと思いますし、じゅあどうすればいいかといいますと、捻じ曲げられた憲法観を戻し社会問題についてひとつひとつ取り組むことだと思います。
そこに『愛国心』というものをもちこむ必要は無いと思いますし、子供が自発的に人格形成を行うことができる社会を形成していく必要があると思います。

>タバコのポイ捨て、してもいいじゃんという人間に対して
>ダメ、と強制するのと同じ。
>そういう共通認識を道徳教育で作るわけだから。

タバコのポイ捨て問題は、自治体レベルで取り組んでいるのですよね。それは、いいことだと思います。
この国は、直ぐ問題があると国で解決しようとしますが、自治体のレベルで扱える領域を増やしていく必要があると思います。
国際社会では、『大きな国家から小さな国家へ』という流れにあるそうです。
この国は『愛国心』もそうですが、地方自治であるとか『郷土愛』などもっと身近のところから問題を解決するように努力する必要があると思います。
そういうことだと思いますし、この国の歴史もそれを示していますよね。
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【122】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 teto  - 03/7/2(水) 4:25 -
  
▼masatoさん:
>tetoさん、お忙しい中わざわざ返信ありがとうございます。
>>ぼくらはなぜ君が『池田・ロバートソン会談』を取り上げるのか理解できないんですよ。
>えーと、要するに『愛国心』とは、何かについてです。

やればできるじゃん。よくわかりました。
今度スレッドを立てるときは、議論のテーマをタイトルにしようね。

で、その池田君とロバートソン君の会談以降、日本に愛国心教育が入ってきたということなんですが
それはありえないですね。
君の仮説によると、今現在日本の公教育では愛国心が教えられていることになります。

ところが、実情は、今現在教育基本法を改正しようという議論の中で
愛国心という文言を入れようとするだけで各方面で大騒ぎしてます。

こういう反応見て、まず今までに国が先導して愛国心を教えて来たわけがないといえます。

また自分の皮膚感覚で今までの義務教育の中で愛国心を教えてもらった感覚が残ってますか?

逆にぼくは自虐史観に基づくダメダメ国家日本というものを教えられてきました。
これは愛国心とは対極にある教育でしょう。

話はちょっと変わりますが、現在使われている愛国心というのは
国民国家が成立して初めて成り立つもので
国民国家とは何かというとそれは近代に入ってできてきた新しい概念なんですよ。

(近代というには古いけどこういう定義がある)
http://d.hatena.ne.jp/saiton/keyword/%B9%F1%CC%B1%B9%F1%B2%C8?kid=5694

例えば中世のヨーロッパであれば都市国家という単位でそこいら中に国が点在していた。

日本で言うと、一国一城の主、という言葉が残っていることでわかるように
それぞれの殿様が納める国が点在していた。

それが、近代になって、日本なら日本という単位で国をまとめないと
植民地化されるという懸念が出てきた。
で、江戸幕府を転覆させ国民国家を作る必要が出てきた。

で、坂本竜馬が動いて大政奉還させたわけだよね。
で、新政府を作った。それが明治維新。

この革命で日本は封建社会から
ヨーロッパですでに確立していた国民国家設立を成し遂げたわけ。

この時点から、国の単位が殿様中心の狭い世界から
日本全土に概念が広がったわけ。

現在の愛国心で規定されている国の単位は、このとき作られた概念の範囲になるわけ。
つまり今現在日本と呼ぶ地域。

じゃあ、江戸時代に愛国心がなかったかというとそれはそれであったわけ。
つまり殿様に対する忠誠心と、殿様が治める領土に対する愛情ね。

なんか君が考えている愛国心の概念がイマイチつかめないんだけど
ものすごく難しく考えていると思う。

例えば君は大分トリニータを応援しているわけだけど
それはなぜかというと、おそらくは大分出身者だからだと思うのね。

地元にあるチームを応援する理由は何かというと
それは自分の経験に照らし合わせて考えて愛郷心に基づく感情だと思うのね。

愛郷心というのは何かというと、自分が住む地域に対する愛着。

それが国の単位まで広がったときに愛国心になるわけ。

ごく単純な話。


教育勅語が愛国心を教えていない、と君が書いたことに対して
教えていると反論したけど
よく考えると、あれは道徳の規範であって愛国心とかは関係ないね。

ちなみに道徳にしてもなんにしても、ある価値観を決めるとき
それは押し付けで仕方ないと思う。
共通の概念がないところに、「これが正しいことだよ」ってことを教え込むわけだから
それは強制という意味合いがあってもおかしくない。

そしてそれは特に批判されるべきものでもないと思う。
それが道徳教育というものでしょう。

タバコのポイ捨て、してもいいじゃんという人間に対して
ダメ、と強制するのと同じ。
そういう共通認識を道徳教育で作るわけだから。

とりあえず簡単だけど。
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【121】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 masato E-MAIL  - 03/7/2(水) 3:33 -
  
上は、かなり長くなって収まりきらなくなりましたので、字数を詰めたり発言を削除したりしました。
ちょっと上でhirokoさんという方から批判されているように意味不明なスレッドですね。
愛国心について調べていたわけですが、ここの愛国心との関連を知りたかったですし、tetoさんにそれを聞きたかったわけです。
そういう趣旨です。
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【120】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 masato E-MAIL  - 03/7/2(水) 3:17 -
  
tetoさん、お忙しい中わざわざ返信ありがとうございます。
>ぼくらはなぜ君が『池田・ロバートソン会談』を取り上げるのか理解できないんですよ。
えーと、要するに『愛国心』とは、何かについてです。
そこで、検索するアプローチとして『愛国心』としたら、膨大なサイトが検出できましたが、これに『池田・ロバートソン会談』と絞り込んだらいろいろな学識経験者の論文に限られたわけです。
結局のところ私の知りたかったことを見つけることはできなかったわけですが、ふと思うと『愛国心』を論じる人が多い割りに『池田・ロバートソン会談』に触れている論者は本当に少ないわけです。
そもそも私がこの『池田・ロバートソン』会談を知ったのは、『どうなっている!?日本国憲法・改訂版』(法律文化社)という憲法のテキストで知ったわけですが、このテキストを編著した播磨信義さんと木下智史さんのような比較的若い憲法学の学者の先生が取り上げているのに対して、別のスレッドで参考文献として紹介した憲法学の権威の先生は取り上げていないことにも注目しました。
前述のように膨大な検出のできる『愛国者』について、ここで取り上げることによって『愛国者』について深く知る事ができるのではないかと期待したからです。
また歴史的な側面にも注目してみました。それをまとめてみますと以下のようになります。
1945.8.14政府によるポツダム宣言の受諾
1946.11.3日本国憲法公布1947.5.3施行
1950.6.25朝鮮戦争勃発
1950.7.8マッカーサーによる警察予備隊創設指令
1950.8.10警察予備隊令公布
1951.9.8サンフランシスコ対日講和条約・日米安保条約調印
1953.10.15保安隊発足
1953.10.30池田・ロバートソン共同声明
1954.7.1自衛隊法・防衛庁設置法施行
こうしてみると『池田・ロバートソン会談』の歴史的な年表を確認できます。
借り物の文面で申し訳ないですが、「また1953年の池田・ロバートソン会談での確認(「日本政府は、教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである」)や独占資本の要求をふまえ、教育の反動化・中央集権化がすすめられた」とあります。
『池田・ロバートソン会談』の意味するところは、保安隊に入隊する青少年を教育によって育てなさいということだと思います。
疑問として平和主義を謳う日本国憲法をある意味押し付けた米国が朝鮮戦争を機に警察予備隊を創設しなさいと言う、また一方では防衛のための意識を高めるために『愛国心』教育に取り組みなさいと言ったわけです。ここに大きな矛盾を感じたわけです。
>どうやら愛国心と教育勅語が絡んでいるようですが
教育勅語が絡んだ理由としては、『愛国心』とはこの国の固有、つまり戦前戦後を問わずこの国に生きてきた、また生きている私達が有してきた価値観であるのかどうなのかを知るために戦前の教育の中心であった『教育勅語』にそれを求めたわけです。また、検索したサイトでは、教育基本法の手直し論と愛国心、また戦前の教育勅語に触れていたわけです。こうしたことから、これらは密接した論点なのかもしれません。
>『池田・ロバートソン会談』というものを頻繁に持ち出していますがこの会談について君の言葉で説明してください。
『愛国心』という観念のもととして『池田・ロバートソン会談』に注目しているわけです。
歴史上『愛国心』という観念がそれ以前にあったとすれば、私の拙い説はあっけなく崩れ去るわけですが、それを私は知りたいのです。そもそも『愛国心』を語る論者は、その定義やその由来をどこに求めているのか知りたいところです。
tetoさんもよく『愛国心』なるものを表現しようとしていますが、これを試みてください。その定義と由来についてです。
私は、『池田・ロバートソン会談』にその由来を求めているわけですが、最近良く目にする『愛国心』とそれを分類することに試みてみました。
そもそも『池田・ロバートソン会談』で確認された『愛国心』を米国から持ち込まれた観念としてみているわけですが、最近良く目にする『愛国心』は同一のものですか。私は、同じ観念だと思います。
>ちなみに戦後の日本の教育界では愛国心はタブーでした。
ん?、私が上で書き込みした池田・ロバートソン覚書では、『愛国心』を教育しなさいとありましたね。
私もよく知らないのですが、『夜の教育委員会』というものがあったらしいです。
憲法のテキストでは、『池田・ロバートソン会談』を実現されるために国家統制化の諸政策が行われたそうです。
これも借り物の文面で申し訳ないですが、「その目標の実現のためには、文部省→教育委員会→校長→教師→児童・生徒と、「国家意思」を上から下まで伝えることが必要である。・・・・・「教育二法」が、国会に警察官を導入して強行成立させられた。・・・1956年公選制の教育委員会を廃止して、自治体の首長の任命による教育委員会とする「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が、これも国会に警察官を導入して強行成立させられた。・・・・・1958年からの教師に対する勤務評定(勤評)の導入であった。・・・・・偏向教科書キャンペーン、教科書検定機構の強化、学習指導要領の法的拘束化などがおこなわれた。・・・・1961年から全国一斉学力テストが行われた。」とあり、国家統制化のために教育行政に対して過激なことが行われたようですね。
>日本代表がその力を誇示し、プロサッカーが国内で認知された90年代初頭から
>少なくともサッカー日本代表サポーターの間に日の丸と君が代に対する抵抗感はなくなりました。
そうした背景から『愛国心』が気軽に論じられるようになったと見ています。
>アメリカから持ち込まれた概念というのは、非常に抵抗感のある説明です。
アメリカから持ち込まれた概念という私の説を切り崩すためには、『愛国心』の由来を『池田・ロバートソン会談』以前から見つけなくてはいけないと思います。
教育の中から教え込まれた概念であるとすれば、それを見つけるのは大変困難な作業だと思います。
つまり、文献の中で見つけようと思うのでしたら、戦前以前に教育された人によるものでなければその証明が困難だと思います。tetoさんも自分自身を疑ってみる必要があると思います。なぜなら、教育によって本質をすりかえられている可能性は否定できません。
>そもそも愛国心、という言葉に含まれる国というのはどの範囲を指すのか。
>日本の場合、それは明治維新以降ということになります。
歴史学は全く詳しくないですから、『愛国者』の由来が明治維新以降であるのか古代史に求めるのかはわかりませんが、明治憲法下での天皇制を観点に探ればtetoさんが以前述べていた古代史に起源があることになりますね。
愛国心という観念がアメリカからものでしたら、歴史の浅い移民による国家でありしかも国の連立国家であることから、国民をまとめようという意思がかかる場合に『愛国心』というのは、とても便利な観念に思えます。
しかし、およそ単一民族によりなりしかも天皇制度の下長い歴史を有するこの国では、そうした『愛国心』という観念は育たないものだと私は思います。
他国による侵略に対する防衛心というのは、あまり侵略戦争を経験したことのないこの国では発想できないものだと感じます。
そこでも『愛国心』が伝来したとする私の説の根拠となります。
>>この国の歴史を検証してみますと、大日本憲法下での『教育勅語』からは『愛国心』を読み取ることができませんでした。
>こういうことを断定的に書くのであれば、少なくともソースは提示しましょう。
>--
>http://www.sun-inet.or.jp/~hba7615n/tyokugo02.htm
リンクを張るのは、最近色々あって控えています。ごめんなさい。
>ここらあたりの表現は、国を守ろうという精神が出てます。愛国心といっても差し支えないと思われます。
おそらくtetoさんの有している『愛国心』というものでみたらそうかもしれませんが、教育勅語とは明治憲法を教育のもとで教え込もうとするものだと理解しています。ですからそこは、臣民による義務ですよというふうに全体を解釈しないといけないと思います。
今の国民からみたら、間違いなく明治憲法化の臣民というのは理解しがたいものだと思います。
ですから、臣民の義務として国を守らなければならないというのと、おそらく祖国を愛して祖国を守りましょうねという『愛国心』とは、緊張感が違うものと思います。『愛国心』からくる国防意識というのは志願したい人はどうぞといったニュアンスに対して、明治憲法下である天皇の家来としての徴兵制が伴うことにも注目して欲しいです。
>最近の新しい愛国心観念とはなんでしょうか?
私は、『池田・ロバートソン会談』において確認された『愛国心』と最近気軽に論じられている『愛国心』を区別して考えてみたわけです。
『愛国心』を考える上で、前者は非常に高度の政治性を有するのに対して後者はサッカー日本代表などを通して気軽に考えられているところがあったからです。
後でまた取り上げようと考えていたのですが、『池田・ロバートソン会談』で確認された『愛国心』とは、自衛隊の前身である保安隊と密接に関連しています。
保安隊の前身である警察予備隊とよく聴く『盾と矛』の関係についてですが、深く掘り下げてみますと、ぞっとしますし、とてもむかつきます。これは、また今度。
>http://www.houko.com/00/01/M32/048.HTM
>法律は詳しくないですが、商法は明治時代に施行されてます。
>これは明治憲法下での法律なのではないのでしょうか?
確かに商法もですし民法も最近口語約された刑法もそうです。
憲法改正後、例えば刑法ですが、直ぐに不敬罪の規定が廃止されましたし、刑法200条の尊属殺人の規定がようやく平成七年に削除された例があります。
尊属規定ですが、簡潔に言うと直系の親などを殺害した場合に普通の殺人罪より重く処罰しますよという規定です。
教育勅語では、親を大切にしましょうと言われているわけで刑法上尊属規定は重いという教えと見ることができるわけです。
親を殺害すると言うのは、道徳的に見てそりゃとんでもないわけですが、法の下では罪であれ平等であることが求められてようやく最近削除されたと記憶しています。
こうした現代社会では矛盾であることが容易にわかる事柄であっても、明治憲法化では私達が想像できるような国家ではなかったと理解しなければならないと思います。それが言いたかったわけです。
>命令でも何でも、国民の生き方に対する指針を示しているわけで道徳ではないと言い切れるものではないでしょう。
道徳であればそれに従うことは各自の判断によるのですが、それが命令であったり法律であったり国によるものである場合はそれに従う義務が生じます。道徳と法律上の命令とはそうした意味で違うわけです。
道徳として『教育勅語』を思想とする人はその人の判断により自由ですが、これが教育基本法の中に取り込まれてしまえば『教育勅語』を望まない人もそれに従わなくてはならないわけですね。
ここで確認しなくてはならないのは、大学では先生は自分の研究した内容を自由に講義できるわけですが、高校生までの教育では検定に合格した教科書の中で先生は生徒を教育しなくてはならないのであって自分が研究した内容を教育できない、ということを知らなくてはいけません。ん?、矛盾がありませんか。
それなら先生方が『教育勅語』を研究して生徒に教えればいいのですが、それを国はだめだということで制限を加えているのに、さらに教育基本法を改正して『教育勅語』を取り込もうとしているわけです。
この国の教育行政は、前述のように国家統制化されてなおもこの国の憲法理念を捻じ曲げようとしているわけです。
これは、憲法23条の学問の自由と26条一項の教育を受ける権利の問題です。
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【119】Re:自衛隊国防軍へ、自衛隊のイラク派遣
 teto  - 03/7/2(水) 0:13 -
  
▼ぎゃふんさん:
>ともあります。自衛のための武力行使は国権の発動たる戦争に
>あたらないとの解釈でしょうか。私は防衛のための軍事力の保持を
>憲法に明記することは必要だと考えが変わりました。

自衛隊保有の法的根拠は
九条第一項が自衛権までは放棄していないと解釈し
さらに九条第二項が「前項の目的を達するため」という前提で戦力の不保持を規定しているところにあるのかなと想像しています。

つまり、第二項は、自衛のための戦力までは保有を禁じていないという解釈です。

まあ、解釈なので苦しいのですが。

>子供にも
>「強盗が侵入して来ても高邁な理想を語るばかりで、
> 家族を守れない父ちゃんでは信用できないだろ」
>と説いています。

おっしゃるとおりだと思います。

>国防軍の保有は当然だと思います。ただし国益を守るための
>軍事力には懐疑的です。何をもって国益とするか解釈によっては
>侵略戦争も是となることでしょう。

侵略戦争は日本の国是ではありません。
おそらくそういうところで侵略戦争を抑止するしかないのかなと。
ちなみに戦争が侵略かどうかというのは
その国が認めるかどうかによるそうです。

日本が将来例えば軍事行動を起こす場合、国会による承認が必要になるはずなんですが
もしそれが侵略戦争ならマスコミは反対の一大キャンペーンを起こすだろうし
世論もそれを許さないと思います。

それが例えば北朝鮮に対する武力行使の場合
世論はおそらく反対はしないと思います。

それが国益なのかなと。

>>自衛隊のイラク派遣
>>米英の兵士がバンバン殺されています
>自衛隊もフセイン残党から銃を向けられれば公然と先に発砲する、
>これこそ戦後日本が体験しなかった戦慄の瞬間ですね。

戦慄と言う言葉ほどには深刻に捉えてはいませんが
しかし一線を越えるのは間違いないですね。

殺すか殺されるか。
まだぼくはイラク国内での出来事を想像し切れていないのかもしれません。


▼まあしい(反応市民)さん:

レスつけたい書き込みがたくさんあるんですが、とりあえず。

>やっと、憲法上でも国防軍にすべし、という意見が
>議論以前の誹謗中傷などでつぶされることなく、
>たたき台の上に載せることができたのですね。
>ちょっと前なら考えられなかったことですよね。

おっしゃるとおりですね。
時代に合わせて国民世論も変わるということでしょうね。

>
>一部で言われていたことですが、あの悪評高かった、靖国に代わるという
>「無宗教の追悼施設」建設を、なぜ福田官房長官サイドが
>執拗なまでに進めようとしていたか、というのは
>実は靖国に反発する中韓に配慮、という理由よりは、
>戦後はじめて出るであろう自衛隊からの「戦死者」を祀るため、
>ということのほうが大きいみたいです。

なるほど。
ホント、これは目からうろこの考え方ですね。
おっしゃるとおり、戦死者を靖国に祀るという思想は
敗戦によって完全に歴史的に分断されてますね。

確かに、イラクに派兵され殉職した自衛隊員を靖国に祀るということが
どんな社会的反応を示すのか、想像もつきませんね。

>個人的には「無宗教の追悼施設」なんつー欺瞞には納得しがたいですが、
>でも同時に戦後っ子として「信教・思想の自由」を尊重せねば、
>というタテマエのアタマがあるせいか、
>何が何でも自衛官が戦死すればすぐさま靖国に有無を言わさず
>祀るべし!とも言えないしなあ…

なるほど。難しい問題ですね。
今の日本社会にこの問題を投げかけると確実に世論は割れますね。

まずは日本の伝統を大事にするところから教育を代えていかないと
靖国に対する拒絶感はなくならないでしょうね。

今すぐに靖国に祀らなくても、時間がたって後から合祀することは可能ですしね。

>ってか、その前に丸腰同然で死んで来い、というのに等しい
>命令が自衛隊にくだされかねないこの状況がなんとも。
>個人的には、「反戦」「非戦」というようなサヨっちい意味ではなく、
>ただ単に「日本国の、国民の利益になるとは思えないので」派兵反対or無期延期
>を主張したいですね。

民主党は、文民を派遣すべしと言ってるので
イラクの戦後復興自体には意味があるとみなしているようです。

ただ、民主党案で困ったのが、危険地帯だから文民を派遣しろという主張です。

こういうときに自衛隊が軍隊じゃないことの問題点が出てきますね。
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【118】Re:意味不明企画
 hiroko  - 03/7/1(火) 23:59 -
  
▼tetoさん:
>他の人がどうやってスレッドを立てているのか、勉強してください。
  − 激しく略 −
>そもそも何について論じたいのかがわからないので
>そこを明確にしてくれますか。

ここは愛国板。(別にウヨの部屋ではありませんが)
それといま表の上の方に掲載の、教育基本法改正せよ!とのしちくじ。

「管理人氏的にこれは旬なのだ」と思ったんじゃないですか。
彼はこの板にどうしても常駐したいようです。これらのことについて
勉強していると言えば喜ばれると単純に思っただけ。

としか思えませんけど。なんか聞いても無駄っぽい。
あくまで「私個人」として感じたことですけどね。

書いたり消したり書いたり消えたり書いたり消したり。
それだけでもかなり見苦しくて仕方ない。
その点だけでもどうにかならないのか?masatoさんとやら。

それとも。

「愛国心の本来の意味を知らない世代が愛国心について語っている。」
「それはここにいるお前らだ!」とでも言いたいのですかね?

なんか憲法スレによると、独学者(素人)は資料に頼りがちらしいんで。
ズラズラコピペの好きなご自分はそうではないんでしょうね。ふーん。
専門的にその方面のお勉強でもしてたんですかね。

何を?法とか憲法を?つまり法学部?うそっ!
自論で一定のロジックを維持できないって致命的でしょ、その分野。

いやそんなことはどうでもいいんですが。まずコピペを上手にね。
てにをはを間違わぬよう、また論旨の矛盾なくつなげるように
練習してから来た方が・・・その前に、そもそも何が目的なのか
自分でちゃんとわかってから書いてくれないと、読む気になりません。

あくまで「私個人」として眺めて思うことですけどねー。
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【117】Re:今日の一言vol1
 teto  - 03/7/1(火) 23:53 -
  
君が代を反対する人たちが使う説明があります。
曰く、「君が代は天皇の治世という意味だから民主主義の現代にはそぐわない」。

そういう人に対してぼくはこう反論することにしています。
君が代の君は歌う人がそれぞれの「君」を想定すればいい。
もし仮に君が代の君を天皇だとして何が悪いのか。
憲法、第1章第1条で天皇は日本国の象徴だと規定されている。
つまり、「君=天皇=日本」であり、そう考えれば日本が末永く繁栄するように
と歌われているわけです。
何もやましいところはないじゃないですかと。

君が代に反論する人は、こんなことも言ってきます。
あの歌の元、世界の人たちに戦争の惨禍を与え苦しめた。
だからあの歌は歌うべきじゃない。

そういう人にはこう反論することにしてます。

史上、戦争を起こさなかった国がどれほど存在しますか?
アメリカもフランスもUKもスペインも中国も韓国もみんな戦争を経験しています。
戦争を起こすたびに国旗国歌を変える必要があるんですか?

そもそもすべての戦争が悪だという考えに毒されているから
日本の国旗国歌に対する変な議論が起きるんですけどね。

戦争はできればやらないほうがいいが、戦争自体は政治の一形態であり
主権国家に認められた固有の権利なわけで、そこのところの現実を理解していない人が
日本には多いように思いますね。

まあ、戦争に負けてGHQが占領したときの政策が見事だったといえばそれまでですが。

ちなみにノリのいいフランス国歌には有名な事件があります。
92年のアルベールビルオリンピックの開会式のときのこと。
10歳の少女が、アカペラでフランス国歌を独唱したんですね。
日本人が聞けば美しい歌声ですばらしいと感じられるわけですが
フランス人ににしてみると「なんであんな少女にあんな残虐な歌を歌わせるんだ」
ということで歌詞を変えるかどうか論争になったそうです。

フランス国歌 アルベールビル でググると出てきます。
ちなみにフランス国歌の日本語訳は以下の通り。

ゆけ、祖国の国民
ときこそ いたれり
正義のわれらに
旗はひるがえる 旗はひるがえる
聞かずや 野に 山に 敵の叫ぶを
悪魔のごとく 敵は血に飢えたり
たて 国民 いざほことれ
進め 進め あだなす敵を ほふらん

これを読んで
「フランスは、さすが世界中に植民地をもつ残虐な国家ですね」
とは言わないわけでこういうところで君が代反対論者はダブルスタンダードだと思うんですよね。

ちなみにフランスワールドカップのとき、トゥールーズからパリへ向かう夜行列車での中のこと。

居合わせたアルゼンチン人から日本の歌ですごくいいのがあったといわれました。
で、なんだろうと日本人女性2名を含めた3人で頭をひねったんですが
どうやら君が代らしいことがわかったんですね。

で、その場で3人で歌ったらそうだと。
ものすごくきれいな旋律だった、とほめられました。
自分のアイデンティティをほめられたわけで誇らしかったです。
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【116】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 teto  - 03/7/1(火) 21:45 -
  
他の人がどうやってスレッドを立てているのか、勉強してください。

君の頭の中では、『池田・ロバートソン会談』を取り上げる
かなり明瞭な必然性があるんでしょうが
ぼくらはなぜ君が『池田・ロバートソン会談』を取り上げるのか理解できないんですよ。

だからまず議論を始める前提として
何について論じたいのかをはっきりさせてください。
でないと、誰も君の議論に反応できないですよ。

どうやら愛国心と教育勅語が絡んでいるようですが
君の書き込みはパズルを解くようにして主題を見つけないといけないので
非常に手がかかるわけです。


>こうした本来の意味での『愛国心』を知らない世代が『愛国心』を論じているわけです。
>
>ここで、「本来の意味の『愛国心』」とは、非常に政治的な観点であることを確認してみてください。

確認してみてください、とのことですが、どうやって確認すればいいでしょうか?
愛国心が政治的な観点であるとはどういうことでしょうか?

『池田・ロバートソン会談』というものを頻繁に持ち出していますが
この会談について君の言葉で説明してください。


>『池田・ロバートソン会談』を歴史的に検証してみたらわかることですが、『愛国心』というのは米国によってはじめて持ち込まれた概念であることに気づきます。
>『愛国心』といえば、先日の同国内でのテロ同時多発事件後の国威の高揚で用いられた観念だと理解しています。

ちなみに戦後の日本の教育界では愛国心はタブーでした。
日本代表がその力を誇示し、プロサッカーが国内で認知された90年代初頭から
少なくともサッカー日本代表サポーターの間に日の丸と君が代に対する抵抗感はなくなりました。

まだ愛国心や日の丸が好きだ、と公言できる環境になって10年くらいじゃないですかね。
アメリカから持ち込まれた概念というのは、非常に抵抗感のある説明です。

そもそも愛国心、という言葉に含まれる国というのはどの範囲を指すのか。
いわゆる現代社会で言うところの「国」の概念がいつできたのか、という問題ですから。
つまり国民国家の成立時期はいつなのかということになります。

日本の場合、それは明治維新以降ということになります。

>この国の歴史を検証してみますと、大日本憲法下での『教育勅語』からは『愛国心』を読み取ることができませんでした。

こういうことを断定的に書くのであれば、少なくともソースは提示しましょう。

--
http://www.sun-inet.or.jp/~hba7615n/tyokugo02.htm

教育勅語の訳文
 
 天皇ご自身がお考えになるに、天照大神以来の天皇の御始祖たちが我が日本を建国するに際し、その規模は広大で、いつまでもその基盤が揺らぐことのないようにされ、さらに、御先祖たちは身を慎み、国民を大切にして、後の徳政のお手本を示された。天皇の臣民である日本国民は、いつの時代も忠孝を尽くし、国民が心を一つにしてその美徳を発揮してきたこと、これこそが国体の最も優れた点であり、教育の大もともここに根ざしていかなければならない。

 お前たち臣民は、父母に孝行し、兄弟は仲良く、夫婦も仲睦まじく、友人とは信頼しあい、礼儀を守り、自らは身を慎み、人々には博愛の心で親切にし、学業に励み、仕事を身につけ、さらに知識をひろめ才能を磨き、人格を高め、進んで公共の利益の増進を図り、社会のためになる仕事をし、いつも憲法を大事にし、法律を守り、ひとたび国家の一大事となれば、正義にかなった勇気を奮い起こし、国家・公共のために身を捧げることで、天地と共に窮まりない、天皇を戴く日本国の国運が栄えることを助けなければならない。これは、単に天皇の忠良な臣民としての行動だけでなく、御先祖の残した美風を継承することでもある。

  この教えに従うことは、まさしく我が天皇の御始祖たちが残されたおさとしで、皇室の子孫も臣民も共に守るべきものであり、昔から今に至る何時の時代に実践しても間違いなく、我が国で実践しても外国で実践しても道理に反しない。自分は、臣民と共に、このことを自分自身によく言い聞かせ、その教えを守り、臣君一体となってその徳をより高めたいと願い望む。

明治二十三年十月三十日

御名御璽
---
ひとたび国家の一大事となれば、正義にかなった勇気を奮い起こし、国家・公共のために身を捧げることで、天地と共に窮まりない、天皇を戴く日本国の国運が栄えることを助けなければならない。

ここらあたりの表現は、国を守ろうという精神が出てます。
愛国心といっても差し支えないと思われます。

>最近では、新しい『愛国心』観念をもつ青少年は、この『愛国心』を価値観として戦前の『教育勅語』を再評価して、『教育基本法』を改正しようとする動きがあります。

最近の新しい愛国心観念とはなんでしょうか?

>『教育勅語』は、道徳律としてみるとすばらしいものがあり評価できますが、あくまでそれは明治憲法下での勅令であり、現在の日本国憲法下では無価値であることは言うまでもないですね。
>なぜなら、明治憲法下では有効だった民事・刑事上の法規定が現憲法下で廃止されたものを確認してもらえれば理解できると思います。

http://www.houko.com/00/01/M32/048.HTM
法律は詳しくないですが、商法は明治時代に施行されてます。
これは明治憲法下での法律なのではないのでしょうか?


>道徳としてのそれと法律の分野でのそれとは、違うわけです。
>すなわち『教育勅語』とは、命令であって、道徳ではないのです。

命令でも何でも、国民の生き方に対する指針を示しているわけで
道徳ではないと言い切れるものではないでしょう。

とりあえず字ズラに対する反論を書きましたが
そもそも何について論じたいのかがわからないので
そこを明確にしてくれますか。

よろぴくです。
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【115】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 masato E-MAIL  - 03/7/1(火) 15:30 -
  
tetoさん、こんにちは!。

>何が言いたいの?

最近勉強を再会したとメールでお話しましたね。
で、『池田・ロバートソン会談』について知りました。
「愛国心の教育?」とみて不思議に思ったわけです。

『愛国心』をキーワードに検索して辿り着いたとあるサイトでのことですが、あるメディアがサッカー日本代表を通じての青少年が抱きつつある愛国心の高揚を政治で利用されることが危惧されるというような指摘をしていたことにふれ、政治に利用されない「愛国心」で新しい価値観を築けばいいといったことを論じていました。
またとあるサイトでは、帰化した元日本代表の選手の発言に触れていたわけです。

『池田・ロバートソン会談』を知った上でこれらの発言を読んでみましたら、恥ずかしく思いました。
こうした本来の意味での『愛国心』を知らない世代が『愛国心』を論じているわけです。

ここで、「本来の意味の『愛国心』」とは、非常に政治的な観点であることを確認してみてください。
『池田・ロバートソン会談』を歴史的に検証してみたらわかることですが、『愛国心』というのは米国によってはじめて持ち込まれた概念であることに気づきます。
『愛国心』といえば、先日の同国内でのテロ同時多発事件後の国威の高揚で用いられた観念だと理解しています。
この国の歴史を検証してみますと、大日本憲法下での『教育勅語』からは『愛国心』を読み取ることができませんでした。
『池田・ロバートソン会談』で確認できた愛国心と防衛意識の教育からは、日本国の政府だけでなく米国政府の軍事的戦略などの思惑を見ることができるわけです。
その思惑とは何かというと、わが国の政府では、戦後から憲法改正を念願として戦前のような強固の中央集権国家化と軍隊の復帰であり、米国政府では、現在では広範となりましたが当時の極東安定のための軍事的な安定のための戦略であると考えられます。
そうしてみると、この『池田・ロバートソン会談』で確認された内容は、当時のこの国の状況から検証してみると不自然であることに気づきます。

最近では、新しい『愛国心』観念をもつ青少年は、この『愛国心』を価値観として戦前の『教育勅語』を再評価して、『教育基本法』を改正しようとする動きがあります。
『教育勅語』は、道徳律としてみるとすばらしいものがあり評価できますが、あくまでそれは明治憲法下での勅令であり、現在の日本国憲法下では無価値であることは言うまでもないですね。
なぜなら、明治憲法下では有効だった民事・刑事上の法規定が現憲法下で廃止されたものを確認してもらえれば理解できると思います。
道徳としてのそれと法律の分野でのそれとは、違うわけです。
すなわち『教育勅語』とは、命令であって、道徳ではないのです。

新しい『愛国心』を論じる青少年は、果たして『池田・ロバートソン会談』を知っているのか疑問に思えます。
政治上では本来の意味の『愛国心』があり、新しい『愛国心』を唱える論者はそれを知らないとすれば、政治上利用されても気づくことはないでしょう。
『愛国心』論ではありますが、そこに潜むのは憂国論ですね。
本当に残念なことです。
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【114】Re:この国の歴史を紐解くキーワードvol.1
 teto  - 03/7/1(火) 5:28 -
  
君の書き込みはいつもそうだが論旨が不明瞭だね。
なにが言いたいのかさっぱりわからん。

何が言いたいの?
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